露軍戦力は見かけ倒し?専門家:米国は中国軍事力を同様に高めに評価しているかも

ロシアがウクライナに侵入して1か月余り、(ロシアにとっての)如何なる目標も達成していないだけでなく、多くの死傷者が出ており、多くの専門家が戦前、ロシアの軍事力を高く評価していた可能性があると認識しているのと同時にもう一つの軍事大国の中国は、その軍事力ももしかしたら高く評価されているのかもしれないと議論が起きている。

ボイス・オブ・アメリカ》の報道では、米国国防総省が今週国会に提出した《2022年国家防衛戦略》の報告の中で、中国は米国にとっての長期的に対抗するつもりで進めるとしたと共に、「最重要の戦略的競争相手だ」と位置づけ、中国が多方面において日に日に脅威が増していると看做し、アメリカは戦略的な最優先事項にしているとあった。

米国クインシー研究所の東アジア専門主任のマイケル・スウェイン(Michael D. Swiane)氏とのインタビューでは、彼は米国のある一定層は中国の軍事緑を高く評価しすぎていると考えていると述べたい。

スウェイン氏は、米国国防総省は中国軍隊の規模、武器及び能力についての定義と説明に対して高度な正確性を有しているが、ある部分に関しては誇大と誤った説明が存在しており、特に中国軍隊が中国国家体制下に於いての負の面による影響と制限についてがそれに当たる。

スウェインしは、中国と現在泥沼にはまったロシア軍は同じであり、その軍事と政治体系は上から下へと集中的なコントロールで実行されるため、部隊の自主性と臨機応変さに制限が出ると考えている。

その他にも多くの専門家が、本当の軍事力は武器と軍人の数だけでは測ることができず、中国の解放軍について言えば、一旦実弾が飛び交う戦場に置かれたら、その軍紀、士気と訓練指揮のレベルが、戦力に更に大きな影響を与えると考えている。

2022年4月2日 編集・翻訳(八度妖)

Web管理者の感想

今回のロシア軍のダメっぷりを見れば、鄧小平氏による市場開放後、人民解放軍、特にその幹部たちはお金儲けに走るようになったと言われるが故に、圧倒的な武器と兵力を持つ中国も、実は本当の戦力においては、へなちょこなのかもしれない、と考えるのは、軍事の素人である私にも想像ができる。

以前妙佛DeepMaxさんの動画でも語られていたが、人民解放軍は実は指揮系統がグダグダ、武器・弾薬・食料・備品も横流しされている、とのことである。そしてよく倉庫や工場が爆発するのは、こうした横流しされた武器・弾薬・食料・備品の数を合わせるために行われているとも言われているほどだ(あくまでも噂だが、そうでもしないと棚卸のようなときに、辻褄が合わなくなるはず)

日本や米国の軍隊の士気、練度、指揮系統は優れていると言われているが、例えば日本の戦闘機100機と中国の戦闘機100機(同性能とする)では戦力に大きな隔たりが出るということも考慮して、国防と言うもののを組み立てていく必要があるといことが分かった。まぁ、マスコミなどに出演する専門家が中露の軍事力を高く評価しすぎているだけで、防衛省や国防総省は中国の本当の実力を正しく導き出しているのかもしれない。

ただ、いずれにしても「油断大敵」。中国の実力はそれほどでもない、という答えになったとしても、日本や台湾が訓練などで気を抜いてよいか?という話とはまた別のものである。中国やロシアは、独裁国家であり、国家幹部が生き残りさえすれば自国民のことなんてどうでもよいと考える体制であるため、引き続き警戒は必要である。

※コメント欄がスパムで溢れていますので、コメント欄は一時的に閉鎖しております。

朝日新聞「台湾で米軍の信頼急落 有事参戦めぐる世論調査 自衛隊に期待43%」に思う事

3月22日夜に出されたニュース記事なのですが、なんというか、中国共産党の機関紙ではないか?と思うくらいの台湾と日米を引き離すような見出しだったのと、この記事だけを読むと「台湾人は自衛隊に期待しているのかぁ、アホだなぁ」と思う日本人も出てくるかもしれないので、補足もしておきたいなぁという意味もあって取り上げてみたいと思います。

それでは早速朝日新聞の記事から

台湾で米軍の信頼急落 有事参戦めぐる世論調査 自衛隊に期待43%

→おやおや、いきなりタイトルがアメリカ叩き、中国共産党的視点では米台分断工作にもつながるような表現ですね。本当に信頼が急落したのか後ほど解説いたします。続けます。

ロシアによるウクライナ侵攻を目の当たりにした台湾人のうち、「台湾有事には自衛隊が参戦する」と回答した人が43・1%(参戦しないは48・6%)に上ったことが、台湾の民間シンクタンク「台湾民意基金会」の世論調査でわかった。米軍の参戦を信じる人は34・5%(同55・9%)で、日本に対する信頼を下回った。

→こちらのシンクタンクの質問としては、有事の際に日米が兵を出して台湾を守ることをするか?という問いに、日本語的に言えば、出兵する、どちらかと言うと出兵する、どちらとも言えない、どちらかと言うと出兵しない、決して出兵しない、というような希望を含ませることができるような選択肢であったため、この結果を以って「アメリカ軍の信頼が低下」と記事を書く事に違和感を持った日本語ができる台湾人は多いようです。また後で解説しますね。記事を続けます。

 日米両政府はともに、台湾有事に介入するかを明らかにしない「あいまい戦略」をとる。昨年10月の同種調査では、自衛隊の参戦を信じる人は58・0%、米軍は65・0%で、自衛隊で14・9ポイント、米軍では30・5ポイント急落した。同基金会が22日、侵攻後の今月14~15日に20歳以上の約1千人に電話調査し、発表した。

 同基金会は数値の変化について、「まれに見る悲観的な心境の急変」と指摘。「各国がウクライナに派兵していない事実が、台湾人に大きな衝撃を与えた結果だ」と分析している。

 調査結果では、中国による台湾侵攻があった場合に台湾が単独で軍事対応しなければならないと心配する人は、59・7%に上った。さらに、台湾のみでは中国による占領を防げないと考える人は78・0%だった。防げると答えた15・8%のうち、中国と距離を置く蔡英文(ツァイインウェン)政権の与党・民進党の支持者の割合は、中国融和路線をとる野党・国民党の支持者の5・4倍だった。

→これも先ほどの日米の軍を出兵するか、という設問にも関係する所で、結局のところ、自分の国は自分で守らなければならないという意識が多くなったという結果であるということ、強調させていただきます。

 また、単独でロシアに軍事対応しているウクライナの境遇に同情する人は、87・2%に上った。

 台湾外交部(外務省)の22日の発表によると、台湾ではウクライナ支援のためとして、約7億8800万台湾ドル(約33億円)の寄付が集まった。医薬品などの支援物資も約200トン寄せられているという。(台北=石田耕一郎)

→ちなみに日本は、3月25日時点で51億円。人口が日本の約1/5であること、そして年収も200万円ほど、とざっくりですが、日本の半分くらいとも言われている中での33億円にも上る寄付金の多さ。もちろん金額で優劣が決まるわけではありませんが、この額はすごいなぁと思いました。現在台湾が中国共産党と言う巨大な独裁国家の脅威を目の前にしている状況を見て、ロシアのウクライナへの侵略とを重ね合わせて、危機感を持ったのと同時に、なんとかして無辜のウクライナ国民の役に立ちたいという気持ちがあってこのような大金が集まったと思われます。

はい、以上が記事の読み上げでした。


こういうアンケート結果をどのように伝えるか?という点では、アンケート調査のやり方を公表しなければ、なんとでも印象操作は可能であることは皆さんご存じかと思います。今回のこの民意調査は、自衛隊単体での出兵があるか否か?を聞いたわけではなく、あくまでもアメリカが出兵したら、それに伴って自衛隊も出兵するか否か?という視点で聞いている訳ですから、自衛隊の単独出兵に期待している台湾人が半分近くいる、と解釈する事はやってはいけません。そして、

「台湾人は自衛隊が憲法9条という足かせがあって
出兵できないことを知らないのか!」

という声もSNS上ではチラホラと見かけますが、自衛隊が自国を守るための組織だと言うことくらい、「自衛」という漢字を見れば分かるので、台湾好きな私としては、なんだか台湾人が馬鹿にされたようで、そういう投稿を見てイラっとしました。まぁ、極少数の意見なんでしょうけどもね。


さて、本題に戻りましょう。今回のアンケートはロシアによるウクライナ侵攻後に行われた調査であり、前回似たような調査は昨年10月にも行われ、確かに「台湾有事の際に米国が出兵してくれるか?」という設問に対して、「参戦する」と答えた人の割合が65%だったことから、34.5%という数字だけを見ると急落しているのは事実です。ですが、朝日新聞の見出しにあるように信頼急落、と表現するのは、もはや中共プロパガンダとも言わるようなアンケート調査の内容を歪めていると言っても過言ではありません。

例えばですが、日米の台湾に対する「あいまい戦略」を理解していない台湾人であれば、昨年の段階では「なんかあったらアメリカが助けてくれるんだろうなぁ」と考えて、「出兵する」と回答したのですが、その後ウクライナ侵略戦争が始まり、アメリカが出兵しない事に驚き、米台関係の情報を知るようになった後に、同じ質問が来たとすれば、出兵すると約束していないものに対して、「必ずや出兵する」と答えるわけがありませんよね。台湾にもお花畑な人間がいるのも事実であり、国際情勢に疎い人だっているわけですから、このように民意調査の結果が大きく変わるのは、これだけ大きな出来事があったのですから当然と言えるわけです。

ちなみに、面白いデータとして、アメリカの参戦があると答えた人が34.5%だったということですが、支持政党によって全く異なる結果であったということです。
民進党を支持する人の61%が参戦する、29%が参戦しないと考えており、国民党支持者は19%が参戦する、77%が参戦しない、民衆党の11%が参戦する、86%が参戦しない、無党派層の18%が参戦する、68%が参戦しない、と言う結果でした。民進党支持者でアメリカが参戦してくれると信じている人、期待している人が多いのは、蔡英文政権の対米政策がうまくいっているとの現れかと思いますが、最終的なデータとして34.5%が参戦するというような結果になったということは、支持政党の偏りが無くアンケート調査がおこなわれているとの現れかと思います。


話は長くなりましたが、簡単に言うと、今まで期待値として日米の軍隊が来てくれるといいなあと思っていた人が、ウクライナ情勢をきっかけに、国際情勢についての情報を耳にして、日米は「あいまい戦略」を取っているので過度な期待をしてはいけない、あてにしてはいけない、という考えを持つ台湾人が増えた、ということの表れであるということで、決して朝日新聞の見出しにあるように、信頼急落というのはあまり関係ないというのが私の見解です。まぁ、そもそもアメリカも日本も信頼しないという人は、どういう属性か?というと、皆さんもお分かりかと思います。

最後になりますが、台湾有事について、どこか他人事に捉えている日本人が意外に多い、特に似たような意見を目にしやすいSNSではなく、実社会での声を聴くと、多いと感じております。私のような政治系ブログをお読みになる方は、台湾有事は日本有事である、と認識している人が多いので、全く問題ないと思っておりますが、そうでない人たちに如何に伝えるか?が今後の課題かなぁと思っております。
ただ、現実問題として、実際に悲惨な場面などを見たり体験したりしないとなかなか実感が湧かないというのも理解できます。江戸末期の黒船来航に際しても同じようなことがありますので、仮に中国共産党による台湾侵攻があったとしても、他人事と思う人はいるでしょう。沖縄や北海道が中国共産党やロシアに侵略されてはじめてギャーギャー騒ぎだすんだろうなぁと考えております。ですので、家族や親しい友人などに「台湾有事は日本有事だ」ということをやんわりと、ふわっと説明するのが、現段階でやる事なのかなぁと思っております。

久しぶりの時事ニュースに関する動画でした。本業が年度末と言う事もあり、システム更新など、忙しくなかなか動画が出せなくてすみませんでした。またボチボチとBlogを更新していきますので、何卒よろしくお願いいたします。

2022年3月29日 編集(八度妖)

打倒習近平 4万字にも及ぶ文章がネットで拡散

反習近平勢力が第20回党大会前に巨大爆弾投下

旧暦新年と北京冬季五輪が行なわれている期間(2月上旬)に、中国国外の中国語SNSサイトに4万字にも及ぶ「客観的に習近平を評価」という評論文章がアップロードされ、習近平が個人崇拝を行なっている事を戒め、内政と外交政策に多大な誤りがあることを指摘し、それらが失敗に終わるとして、注目を集めている。ある人物は、これは反習近平体制が秋に行われる予定の中共第20回全国代表大会までに行う手始めの一手だと考えている。ある評論家は、この長編文章は中国共産党第19期中央委員会第6回全体会議(19期6中全会)後に於ける、反習近平体制が放った新たな「巨大爆弾」であると考えている。

過剰包装 ほめ殺しトラップのリスク

この文章は「箱舟と中国」という署名で1月19日に中国語Webサイト「留園網」というサイトに上・中・下の3部に分けて投稿された後、多くの中国語Webサイトに転載された。その後中国国内においても少なくないネット民が転載したが、すぐにネット規制が入り封殺された。作者は西側メディアの記者やニュースメディアが使うような手法で、習近平の性格、心理分析を通して、政策の失敗は個人的な要因であることを掲示することを試みている。文章では習近平の性格、人使いと内政、満ち溢れた虚偽、全体主義、誇張された世界を批判し、自身が「ほめ殺し」に陥るリスクを指摘している。

文章では、彼は書物を広く人物とされているが、彼の知識が少ない事が考慮されていない、彼は運動は健康を促進すると主張しているが、彼の体型を見ると「デブでぶくぶくしている体型」を見落としている等のように習近平のイメージをぶち壊すような批判をしており、また習近平一派を「目先の事しか見ず、後の事を顧みない」と称している。同時に習近平派中国共産党歴代指導者の中で最も空虚な言葉を放つ人物であり、性格は強気である者の受け身の人間であると述べている。習近平には自信が欠如しており、彼の発言は益々控えめになっているとしている。

習近平派5年後完全敗北すると予言

文章では、習近平が「中華民族の偉大なる復興」を目前になっているから、世界各国が中国に対して敵意を向けていると人民に信じ込ませようとしており、また習近平と世界の争いは既に意地になって争ってる感が否めず、これは習近平個人の危機感の表れが反映されていると指摘している。文章では習近平は3つの危機に直面していると述べている。虚構の政治実績、権力と地位である政治基盤が非常に脆弱、そして習近平と「全ての中共官僚体制との対立」である。習近平の政治生命は少なくとも継続する事が難しいと言われており、2022年が彼にとっての最大のターニングポイントであり、もし続投したとしても2027年までには「完全敗北」するであろうと予言されている。

中国共産党幹部の権力争い 日に日に激化

中国共産党党史専門家の高文謙氏(在米中国人)は、当該文章から昨年中共19期6中全会で深刻な党内分裂が起きている事が露呈している見る事ができ、反習近平勢力が新たに集結し、中共20回大会前の幹部たちの権力争いが日に日に激化していることが露呈していると述べている。

2022年2月27日 編集・翻訳(八度妖)

Web管理者感想

ただこの文章を発した主旨としては、このままでは共産党体制全体がぶっ壊れてしまうから、早く習近平体制から脱却して以前のような共産党体制に戻ろうというものであります。つまりは反習近平勢力が抱えている既得権益を守るためのものであり、結局は中国の国益なんか考えていないという事です。

私個人としては、中国に民主主義がすぐに根付くとは思えないが、共産主義国家よりも形だけでも民主主義国家である方がマシだと思うため、習近平体制は継続してほしいと思っている。もし今年秋の全人代で習近平体制が終焉するとすれば、共産党体制は維持されることになると言われているようです。

習近平を客観的に評価する 下(4万字、閲覧注意)

習近平の危機1:壊れたウィッチヘーゼル

人々の生活も経済も、習近平のリスクテイクを続けることを支持できないことが次第に明らかになってきている。彼の戦略はあまりよく考えられていないが、過激で間違いが許されない。これはおそらく彼が政権を取る前には見られなかったことであり、彼は当初ある意図を党内に隠し、政権を取ってから中央集権化によってそれを追及したのである。 権威主義的な社会であっても、チェックアンドバランスのない権力は、政権を後戻りできない道へと導く最大の変数だからだ。

しかし、習近平は状況が変わることを確信しており、ただ時間が必要だという。 しかし、多くの人々が江沢民の時代を漠然と懐かしみ、習近平が政権を維持すればするほど、その懐かしさは強くなり、習近平が2期目に入ると、人々は目にするほとんどの指導者を思い出し、過去は現在ほど良くないという感情を表すことに気づいていないのではないだろうか。

習近平は、欠点が多すぎる、指導者としての能力とスタイルに欠けている、他の指導者ならもっと強いはずだ、と思われているのだ。

かつて中国が混沌とした野蛮な政権に支配されていた頃、国民は習近平よりも過去に戻りたがっていたのですから、これは非常に不思議な現象です。 それは、前の時代が良かったからではなく、まだ希望があったからで、人々は良いことから悪いことへ変化するよりも、悪いことから良いことへ変化することを好んだのです。 そして、習近平政権はますます息苦しい環境を作り出してきた。そのため、2018年にメディアが「憲法を改正して任期を廃止した」と発表すると、多くの人がすぐに先行きの暗さを感じたという。

決定的なのは、習近平に対する国民の態度が微妙なことだ。–中国の指導者の多くが国民から叱られてきたことはよく知られているが、この叱り方は体制に対する抵抗というより、習近平の場合は個人的なものだった。 国際的に彼のブックリストを読んだ時から、外界の彼に対する認識は急転し、彼に対する侮蔑が生まれ始めた。-習近平の肖像に墨を塗る者、彼の金元外交に扮する者、文化人を気取る彼を揶揄する者、ネットの論客を使って自分を誇大宣伝する彼を揶揄する者、様々である。 中国の指導者の中で、習近平が人格から政策まで、これほどまでに拒絶された例はあまりない。 江沢民が法輪功の憎しみを集めたとすれば、習近平は全階級の恨みを集めている。

これは彼にとって極めて危険な兆候である。 政治家は非難を恐れないが、軽蔑を恐れる。 支配者を嘲笑することは、剣よりも有害であり、それは支配者の個人的な資質が認められていないことを意味します。

人々の発言が習近平の耳に届くかどうかは定かではないが、習近平が敏感になったことは確かで、「重要演説」を頻繁に行い、目標設定や指示の仕方を工夫して、権力を握りしめようとしている。 そして、自分を証明するために、「あらゆる面で中等度の豊かな社会の建設が歴史的に大きな成果を上げた」「国家の発展が歴史的に飛躍した」と主張し、架空の成果をたくさん作り上げるようになったのである。 政治公約、特に貧困撲滅の勝利を果たしたと主張し、中国にはまだ多くの恵まれない家庭があるにもかかわらず「歴史上の奇跡」を起こしたと宣言し(貧困撲滅の祝賀会)、中国が悪化しているにもかかわらず、官憲やマスコミは次のように主張した。 : “中華民族は、歴史上のどの時期よりも、偉大なる若返りという目標に近づいている!”

この言葉は、習近平の政治的な根幹が崩れ、自分の立場を維持するためにスローガンを作らざるを得ない状況にあることを表している。 その一方で、外部からの批判には異常に神経質で、レトリックを省略するほど抑えている。口先だけの言葉が多く、他の指導者なら軽く笑われそうな言葉でも、習近平の耳には不快に響くのである。 就任以来、スラング、映画、アニメ、ブランド、人名……といった多くの言葉をブロックしてきたが、このブロックは政権が変わるたびに増え、無関係な言葉も多く含まれるようになるだろう。

その感性が社会の正常なコミュニケーションに影響を与え、習近平は中国で史上最多の皇室の名前を作り上げたのです。 なぜなら、彼は自分がすべきパフォーマンスをしていないことを知っているからだ。政権を握って10年足らずの彼は、これまでのどのリーダーよりも多くの否定的なコメントを受けてきた。そのため、彼はますます不屈の精神で、自分の間違いや不名誉を認めることに抵抗するようになったのである。 –軍事パレードで左手で敬礼するなどの目に余るミスも、口先だけで「左はまだ幸運、右はまだ悪」と論破され、度重なる外交的失敗も、王毅は「特色ある大国外交の新しい状況を作り出した」と絶賛している。 “.

彼の政権を合理化するために、数え切れないほどの泡を吹かされてきた。 しかし、これらの自慢は彼の悲惨な記録とは比べものにならない。注目すべき現象は、習近平のプロパガンダがますます誇張され、非道になっているのに、人々は彼をますます見下していることだ。彼は共産党と国に対する自分の重要性を必死に強調し、意識的または無意識的に先人を軽蔑して自分を高くしているが、これは彼を非常に自己中心的に見せ、スタイルを欠いているのである。 習近平は世界に冠たる黄金の魔女コートに身を包み、水商売や大衆俳優の喧騒の中でそれを維持しようと必死になるが、それが自己満足の茶番劇に過ぎないことは誰もが理解している。彼の基盤は依然として脆弱で、彼を売り込む者は投機家であり、彼を抱きたいと思うエリートは決していないのである。

このため、習近平は北朝鮮やイランのような環境にますます傾き、批判や疑念を排除するために、一刻も早く閉鎖的で無知な社会を構築しようとする。しかし、この無謀な政治理想が現在の時勢と全くかけ離れていることも、彼の思考の致命的な盲点であった。 — 中国人は習近平の高圧的な態度のもとで反乱を起こし、非暴力・非協力の態度をとるだろう。習近平は、中国人があえて政治的思想を持たず、否定的に自分を空っぽにするのを止められないと計算しているのだ。 インターネット時代の人々は、情報閉鎖社会で人間嫌いになりがちで、習近平の思い通りになるには、インターネットを使う習慣を脱却するのに一世代かかるかもしれませんね。 だから、彼の政策が実行されたとしても、中国人が完全に家畜化される日はなかなか来ないだろう。

習近平の危機2:崩れ落ちる蟻地獄

習近平は、その性格上、非常に狭い道を歩む運命にある。 この道は、闘争と対立を伴い、彼の政治的基盤を解体することになるが、またしても選択の余地はないようだ。

世論の失敗には、実は、習近平の考え方や思想が古いこと、政治的成果で自らの正当性を作り出せないこと、そのため、挑戦を受けると、自分の立場を維持するために鄧小平のやり方より毛沢東のやり方を選ぶ傾向があること、その時々の経済的苦境を解決できないと、階級闘争の行き詰まりに入り込み、政変で人々を威圧しようとするしかないことという、習近平の根本的不利な点が反映されています。 現在の経済的ジレンマを解決できないでいると、政治的混乱で人々を威嚇しようと、階級闘争の行き詰まりを歩まざるを得なかったのである。 まるで、「私を支持してくれないと、この国を平和に暮らせない」と国民に宣言しているようだった。

毛沢東が中央文化大革命グループのトップであったように、習近平もまた多くのグループのトップなのである。 また、企業や大学、市民が互いに報告し合うこと、学生は教師について、社員は上司について、部下は上司について報告することを奨励した。 国民が互いに監視し合い、自己批判することで、自分の権力が脅かされにくくなることを望んでいるのだ。

毛沢東と同じ強迫観念に陥り、権力を維持するためには、損得勘定が無茶苦茶でなければならないと考えたのだ。 しかし、これでは毛沢東のような威信を築けないというジレンマに直面した。 –毛沢東は優れた理論家であり、強い民衆的魅力を備えていたが、習近平には確固たる民衆的基盤がなく、政治運動を支える体系的なイデオロギーを構築するための理論的知識にも欠けている。

彼があおったナショナリズムは、毛沢東の政治的な権力闘争をやせ我慢しただけのもので、思想的なバックボーンはない。 例えば、彼がよく口にする「世界は未曾有の変革期を迎えている」「中国は偉大な若返りの正念場を迎えている」という言葉は、例外的に時代の現実からかけ離れており、むしろ突飛に思えた。 このような言葉は、まさに武侠小説のプロローグのように、人々に驚愕の背景を紹介するものである。 –しかし、世界は混乱していないし、「未曾有の変化」もない。中国は衰退しているわけでも、外国の隷属下にあるわけでもなく、人々に復活を求めるわけでもないのである。

習近平は、中国人に国家興隆の強壮剤を与え、民衆の狂喜を鼓舞しようとしているが、彼が紡ぎ出す国難はあまりにも漠然としていて、民衆の心に響くことはない。 彼のスローガンは、疎外された人々、低学歴を示す人々、若い年齢層で一本気な人々しか動員できず、社会の有力者の多くは、この雰囲気をより嫌うのです。

しかし、習近平の場合、政治的な利害が大きく、ほぼ最初から自らの退路を断っているため、簡単に退路を断つことができない。 危機が高まっている今、彼はポピュリズムの東風に頼って政治的粛清を強めるしかないのである。 党内の『風格づくり』を絶対にやめてはいけない」「党内の悪しき風習を正さなければならない」と繰り返し強調した。 –彼は1930年代の「是正運動」を引き合いに出して官僚を一掃した。彼が就任して以来、少なくとも「膨張した野心」「中央委員会を傲慢に論じた」「中央委員会とグルになっている」といった恣意的な政治責任で、多くの官僚が倒れていった。 “暴力団 “であるとか。

しかし、どんなに思い切った政治的粛清をしても、党内には敵対する勢力が生まれ続ける。最終的には、集団的利益を損ない、自分の政治的エスコートのために国の将来を犠牲にしているのは自分自身だからである。 成功は難しく、失敗は簡単という言葉があるように、中国が何十年もかけて蓄積してきた資本が、彼の在任中に急速に失われているのです。 このままでは、習近平は中国の空洞化を招き、政権が内部から崩壊することになる。

パニックに陥った中国の高官たちは、国が破綻する前に資産を移動させたいと考えている。 このため、習近平は、党内の一部が自分を中核とせず、国の重要な時期に自由に使えるはずの資源を奪っていると考え、政治的に空洞化させようとしているのである。

習近平はこれに対して厳しい為替政策をとり、逃げ惑う資本と綱引きをしている。 — 当初、銀行は大規模な外貨両替を制限し、購入限度額を低く設定していた。しかし、民間人が頭を集め、複数の送金を使って国外に資金を流出させた。銀行は入出金口座を整理し始めたが、人々は再び海外で使って現金化した。政府は銀行カードで海外で使える金額を制限したが、海外取引口座を使っていた人々を発見した。 このため、習近平は香港の金融部門を取り締まり、資金の海外流出を防ごうとしたが、資金は香港から離れ、海外上場に集中した。企業の海外資金調達を制限する規制を導入し、資産の差し押さえを図ったが、多くの企業が管財人になり国内株式はほとんど残っていなかった。 は、まだ海外に進出していない企業の株式を買い取ったが、すでに対内・対外貸付を行っており、中国への債務だけが残っていることがわかった。

マカオのカジノを浄化し、第三者決済ライセンスを停止し、両替商や外国銀行を取り締まり、同時に口座移動に使われる個人の外国貿易口座や影の金融システムとしてのブロックチェーンも一掃したのです。 彼はあらゆる戦術を使ってそれを阻止したが、その穴は決してふさがらないことがわかった。欧米は常に、高官や裕福なビジネスマンが金をもって立ち去るためのルートを提供する方法を見出していたのである。

そのため、習近平は、資本が逃げ出し、やがて中国が空っぽになることを恐れ、政府が財政難に陥ると自分の立場が危うくなることを心配した。しかし、習近平の反対派は逆に、彼の闘争路線が環境の悪化を加速させ、官民連携の計画が不安を招いていると考えたのだ。 彼の政権時代の10年間は、改革開放以来、内政も外交も最も低迷している。習近平に資源が与えられても、彼の政策は底なし沼で、真っ先に中国を空にするのではないかとの疑念がある。

習近平の危機3:絶対的な不誠実さ

習近平の資本との戦いは、実は官僚全体との対決を意味する。 国家という概念も、政党という概念もない。 彼は頑固なだけでなく、過剰なまでに利己的で、権力にしがみつくために国家を傷つけようとすることが見て取れる。 政治の大タブーは自己の利益のために国家を軽視することだが、国益と自己の権力が相反する場合、習近平は間違いなく前者を犠牲にする。権力の喪失よりも中国の崩壊を受け入れようとする。

そのため、政治闘争にやや無茶をするようになった。ちょうど、個人の権威のために、国が何十年も運営してきた国際関係を犠牲にしたように。中国の世界との対決の初期に、アメリカは中国に対して、関係がゼロサムゲームに向かっていると言った。西側諸国は共産党に対して、経済のもつれを政治レベルにまで高めるなと言っている。これは、共産党上層部に、対立主義に早く抑制するようにとの思いからである。 . しかし、習近平はこれを利用して相手を追い込み、最終的には政治的な対応を迫った。-欧米は国家と人権の再導入、中国当局者の財産亡命を中止し、米国は人権侵害をした当局者の入国を禁止する法案を提出した。

これは官僚の最も中心的な利益を損なうもので、彼らが欧米の国境に入れないということは、彼らの財産を隔離することに等しい。独裁者がどれだけ受け入れられるかは、彼がどれだけ共通の利益を生み出せるかに尽きる。だからこそ、人々は鄧小平のラインを覆すことに消極的なのだ。 しかし、習近平は自意識過剰で、国全体、ひいては自分の党を自分の専売特許とみなしている。 自分の周りにいる犬や馬以外のほとんどすべての人を傷つけてきた。

そして、何事も何が何でもコアを受け入れなければならないという被害妄想があったのです。 みんなが協力してくれれば、自分の意志を貫くのに十分な力がある。 しかし、官僚たちはこの姿勢を共有することができず、習近平の目立った失敗を応援しに行くことができなかったのだ。 そのため習近平は、分裂し続ける政治基盤を維持するために、強引な態度で官僚全体を抑え込み、まるで糸を引く人形のように、国を従わせるようになった。

習近平が即位して以来、中国の官界は極めて抑圧的になっている。官僚は仕事に消極的で、多くの人が明日の苦労と引き換えになることを望んでいる。 しかし、習近平が憲法を改正し、長く王座にとどまるつもりであることを知ったとき、彼らは永遠に続く悪い事態を感じたのだ。

そして、この膠着状態は持続不可能であり、必ず破綻する日が来るのです。 習近平はますます孤立し、習近平の支持者でさえも、彼が我が道を行くのを見て、自分たちの将来がそれに続くのではないかと心を揺さぶられることになるだろう。 しかも、習近平は強情で狭量な性格のため、部下にするのは非常に難しい。 手柄のために部下とよく口論をし、自分のミスを他人のせいにする癖がある。自分の政策は現実的でないものが多いが、それをきちんと実行しないのはいつも部下のせいにしている。

そのため、習近平の官僚との関係は不安定であり、習近平の就任以来、多くの官僚が色あせたり、人気がなくなったりしている。 –かつて側近だった王岐山は次第に疎外され、かつて側近だった孫立軍や傅政華は相次いで調査を受け、就任3年で中国一の富豪となり習一族に万達への出資をさせた王健林は資本の海外流出問題で結局清算、その他にも……。 習近平に憧れていたネット上の先輩論客たちも、疫病の発生時には無気力になり、袂を分かったという。

習近平は、政治の波乱と人心の不安定さを感じ、また、前任の家長の足軽が多く、忠誠心を示したものの、二度裏切られることを恐れて、人事にかなり気を遣ったのであろう。 習近平は「二枚舌の人間を嫌う」と公言し、「絶対忠誠」を繰り返し打ち出し、「『似非忠誠』には明確に反対する」と強調している。彼は「絶対的な忠誠心」を繰り返し呼びかけ、「『疑似忠誠心』には明確に反対する」と強調しています。 蘇秦のような謀略に長けた人物が現れることを懸念しており、この人物が誰なのか分からないので、常に周囲の人間の共謀や陰謀に目を光らせているのだ。

そのため、周囲に頼らざるを得なくなり、その結果、危険回避のために臆病になる。 香港は1万人の警察官で警戒態勢に入り、地元住民はこんな驚異的な光景は見たことがないというほどだ。 同様に、習近平も疫病の影響で延期を繰り返してようやく武漢を訪問した。警備員が水際で取り囲み、武漢全体が一歩一歩歩哨と不協和音に包まれるような状況であった。

しかし、この危機感は空しいものではない。習近平を苛立たせる外の声があり、情報源不明の噂が頻繁に流れ、体調が悪いとか、後継者がいるとか、党が指名した後継者を逮捕したにもかかわらず交代するとか、-こうしたゴシップから、誰かが中国全体の反応を試していることがわかるのである。

習近平は、誰が自分に忠誠を誓っているかわからず、何度も周囲の人間を粛清し、自分を陥れようとする試みをすべて排除しようとし、胡耀邦や趙紫陽のように権力を失うことが許せない。

概要:潮流に逆らって泳いだ皇帝

10年前、習近平は中国をどこに連れて行くのだろうと人々は考えていた。 しかし、10年後、彼自身がどこへ行くのかを考えることの方が重要だ。

彼は準備不足のリーダーで、変化の激しい時代に対応するためにやや急ぎ足になっている。 しかも、在任中に不運にも景気後退に見舞われ、人口ボーナス、不動産という2本柱の経済が転換期を迎えつつあったのだ。 これは、中国の製造業が弱体化し、土地金融が維持できなくなることを意味した。 そして、中国の経済活力は低すぎて、もう一つの柱である人口の内需を活性化させることができない。 その一方で、国内の資産価格は高止まりし、実体部門は衰退し、労働者の抗議行動、農民の賃金要求、金融難民の借金取りなど、習近平の前時代とは比べものにならないほど多くの問題が発生している。 そして、中米の緊張が貿易戦争を引き起こし、輸出が危機に瀕している時、また、突然の伝染病をきっかけに、習近平は内部の対立を国際対立に拡大し、新しい軍事競争の台頭を招いた。

実は、これらの問題は必ずしも習近平個人によるものではないかもしれないが、権威主義体制の特徴として、代表制のような長期的なメカニズムがないため、循環性が高いということがある。 だから、権力者にとっては、タイミングが重要である。リーダーは、正しい世界(家系)に生まれるだけでなく、正しい時代に生まれなければならないのだ。 そして、習近平は、中国の経済的な配当がすでに弱くなっていたものの、レガシー問題が顕在化し始めた時期に政権を握ったのである。 そして、習近平の個人的なスタイルは、さらなる負のフィードバックをもたらした。つまり、一連の過激なやり方は、すでに政治的なサイクルが習近平に不利になっている状況を悪化させたのだ。

中国の伝統的な考え方は、皇帝は天から授かったものであり、必ず天から恩恵を受けるというものである。 しかし、習近平が政権をとってから、国の内政と外交は度々後退し、経済は本格的な不況に陥り、しかもこの10年間は天災と人災が頻発し、2016年には心を守るフラックスなどの珍しい凶兆さえあった。これではどんな皇帝も慌てるが、習近平はまた、百年後の中国でしばしば王朝の崩壊を告げる規模の流行病に襲われ、最後に大きな流行病が指導者に襲ったのは慈禧である。 の時は慈禧、前回は崇禎がリーダーでした。

皇帝にとって、これだけ不吉な兆候が重なると、自分が選ばれた子ではなく、天から追放された者であることを暗示しているようなものである。

そのため、習近平は政権の傷を癒すことを極度に望み、自分を証明するために何かを作り出すことに必死になった。そのため、習近平の政策は常に風当たりが強く、激しい。例えば、街をきれいにしようと思うと、北京は低所得者の排除を始め、技術の飛躍をしようと思うと、チップで大躍進を始め、省エネと排出削減をしようと思うと、工場は電力制限と生産停止を行う。

中国の政治がこれほど混沌としているのは、改革開放以来のことだ。 習近平の目標達成のために、幹部はしばしば頭を悩ませることになる。 習近平は財政配分の改善、余剰人員の排除、公共プロセスの合理化など有効な改革を行ったが、体制内の抵抗が大きい、公共サービスが集団的に不活発で政府が圧力を下に広げている、国民は行政システムがあまり改善されたと感じておらず、まだ物事を進めるのが難しいなどの理由であまり評判が良くない。

習近平はすべてをコントロールしたかったが、その代わりにすべてを狂わせた。彼は、すべてが自分に敵対し、天までもが自分に敵対していると感じている。 そんな中、彼は政治的な圧力で事態を好転させることを期待しているのだ。 習近平の支配下で、国内は烽火と十字軍に満ちている。彼は宗教、民主化運動、少数民族、弁護士、国外勢力を取り締まったが、その後は焦土と化したままである。 彼は多くのものを打倒したがっているが、より望ましいものにすることができない。 また、技術開発やサプライチェーンの高度化も重要視している。 しかし、彼の権力意識は、どんな資源を生み出しても、それを消費してしまう渦のようなものなのです。

この自己中心性が習近平の把握力を制限している。彼の世界観は幻想的で、集団指導のメカニズムでガードできたはずの思考に盲点が多すぎるが、かえってそれを弱めている。 彼は再選されることで自分自身を証明したいのだが、その代わりに自分のコントロールできない状況を広げている。彼は中国の社会構造を変えたいし、第三世界を支配したいし、欧米に自分の政治的地位を認めさせたいのである。 しかし、時代は変わり、技術の流れは閉ざされた中国と世界とのギャップを広げ、やがて扉は押し開かれることになる。

習近平は、究極的には自分の哲学と相反する時代に直面している。時代の潮流に逆らって泳いでいるが、全国民が自分を護衛してくれることを望んでいる。これは変態の前の暗夜に過ぎないと心の中で信じている。自分の運でいずれ救うことができる。飛躍的なマイルストーンをもたらして歴史から残されたすべての問題を解決すると宣言するだろう。 しかし、彼が取り返しのつかない歴史的な過ちを犯し、何世代にもわたって返済を迫られる可能性が高いことは、誰もが知っている。

概要:習近平と薄熙来 1 世代を超えて受け継がれるもの

習近平は間違いなく非常に厄介な立場にある皇帝であり、高い台座から出発したことで反発を招くことになった。 彼の過ちは、彼のプロパガンダの重みに耐えなければならないからだ。 そして、彼が一歩ずつ下降していけばいくほど、人々は「中国は彼によって道を誤らせられた」と悔やむようになった。

そんな中、特に中国政界から姿を消した薄熙来に対するノスタルジーが高まっている。 習近平と同じ世代に属し、かつては指導者として期待された。 彼の楽観的で前向きな性格はよく知られており、もし彼がまだこの世にいたら、中国はこんなに悲惨な状態にはなっていなかっただろうと考えられている。 何らかの見落としで習近平に地位を奪われた不運を信じる人は多く、考えるたびに哀愁が深まっていく。

習近平を通じて坊守雷を思い浮かべるのは、共通点が多いからだが、そのイメージは大きく異なる。 かつては政界のスターであり、精力的で雄弁で、言葉に詰まる習近平を凌駕する存在であった亥西来。 薄熙来さんは威勢がよく、自然体で、人と直接会うことを好みました。一方、習さんは最高指導者になる前から、社会に出ていくことを恐れていませんでした。 薄熙来さんは、生き生きとした明るい西側の政治家という印象で、習さんは、むしろ体制に過度に洗脳された鈍重でステレオタイプな人間という印象です。

しかし、この違いにもかかわらず、両者の間には世代を超えた遺産がある。習近平はある意味で、薄熙来のマントを受け継ぎ、今日までその政治的影響力を広げてきた。 習近平は、根底から渤海を尊敬していた。 猪西来は、彼の政治的アイデアの多くにインスピレーションを与え、それを政策に生かすことを許した。

まず、二人とも権力工作に相当な破壊力を持ち、政党内のバランスをあえて崩すタイプの人間であった。 薄熙来の最も有名な政治的遺産は、政治的地位を得るために重慶で紅旗を賛美する熱狂的な行為である。 また、習近平は中央集権化の流れの中で、赤色文化の復活を自らの政治的有権者づくりに利用した。 同時に、重慶では、薄熙来の文化浄化運動が習近平に受け継がれ、薄のスローガンが「黒と戦い悪を排除する、特別行動」であるのに対し、習近平のスローガンは「黒と戦い悪を排除する、特別闘争」であった。

また、薄熙来は拷問や投獄による反体制派の取り締まりを好み、トライアドとの戦いの中で弁護人や民営企業家を逮捕していたが、習近平もそれに負けじと弁護士や人権活動家の大量逮捕を開始し、薄熙来とは比べ物にならない規模で世界に衝撃を与えている。

一時期、薄熙来は社会の監視を強化しようとしていた。当時、王立軍は安全な重慶を作るために、市内に数百万台のカメラを設置することを計画していた。 このコンセプトを実現したのが習近平である。習近平は政権獲得後、中国がこの分野のリーダーとなるまで監視を劇的に拡大し、国民一人当たりの電子監視の数で世界のトップ5にランクインするまでになった。

近年の習近平の「共同繁栄」構想は、実は重慶時代の薄熙来が提唱した「共同繁栄十二則」を模倣したものである。 たとえ、薄れたとしても、習近平の政策には、彼の思想が息づいていることがわかる。 いろいろな意味で、習近平は彼の個人的な弟子といえるかもしれない。

しかし、この現象は、習近平と波濤が一心同体であり、どちらが政権を取っても中国に災いをもたらすという露骨な結論を導き出した。しかし、厳密に言えば、両者は体制を守るという点でのみ共通し、政治認識や個人の資質には根本的な違いがあるのである。

例えば、習近平は政権を取った当初、意識的か無意識的かはともかくとして、薄熙来のカリスマ性を模倣し、東洋と西洋を融合させたスタイルを提示しようとしたが、適切な中身を持っていなかったため失敗した。 習近平は誇大広告に頼りすぎていて、訪問先で必ずビバを叫ぶ人がいる、これは皮肉にしか見えません。 彼は毎日泳いでいると言っているが、誰も彼が水に入っているところを見たことがない。一方、薄熙来は、素っ裸で水泳帽をかぶって活動している写真を残している。

明らかに伯珪は自己完結した気楽さがあり、習近平は無言でスタイルも不明確である。そのため、二人ともネット上の論客を確保しているが、伯珪はネット軍を攻撃に、習近平は防御に使っている。 呉のプロパガンダが自分のスタイルを加えるためのものだったのに対し、習のそれはスキャンダルを隠蔽するためのものだった。呉の時代の論客はある程度の文体を持ち、客観性を装う術を知っていたが、現代の論客は著しく質が低く、罵倒や侮辱の言葉があふれ、外務省でさえ下手に出る傾向がある。 このように、沸西来の対外宣伝は彼のオーラを高めることができたが、習近平の一騎当千の外交は世界中の人々の嫌悪感を引き起こした。

江沢民のように、文人墨客を惹きつける風格があるのだ。 習近平はこの資質を持っていないので、国際的に自分の著作リストを読むと、一番馬鹿にするのは知識人であり、そのために習近平は彼らを醜い老人と批判する傾向が強くなるのである。

習近平が無個性な官僚のサンプルであるのに対して、辛亥は相対的に生き生きとした人間であり、習近平は無個性な官僚のサンプルである。 そのため、今では多くの人が、龍の椅子に座る習近平よりも、刑務所にいる薄煕来を支持するようになった。

特集:習近平と坊守雷 2 大きく変わった中国

個人的な成り立ちから言えば、習近平よりも坊小蕾の方が圧倒的に強い。何をするにも主導権を握れる特異な存在だが、権威主義体制で最も許容しがたいのはこのような人物である。 その意味で、習近平はより幸運であり、その幸運は彼の家族のおかげでもある。 –文化大革命で習仲勲と伯逸邦の二人が殴られ、伯逸邦は1978年に、習仲勲は1980年に更生している。 両者とも中央政府に復帰したが、呉は大小の案件で鄧小平を支持した。 習仲勲はより率直で官僚的でない。89年の学歴の波で批判された胡耀邦の立場に立ち、鄧小平の意に沿わず両家の権力分立を生んだ。亥亥坊は常に党の意思決定の中心人物だったが、習仲勲の業績はむしろ経済建設であった。

習仲勲が亡くなったのは2002年で、習近平は浙江省長代理、伯西来は遼寧省長代理だったが、この頃には伯は光り輝き、家族は昇進の機運を高めていた、伯逸邦は2007年に死ぬまで息子の政治の将来に取り組んでいた、伯西来が勇気を持って行動したのはほとんど彼の家族の後援のおかげであった。

この点で、彼は習近平よりも父親の影が濃く、伯家の方が攻撃的で、習家の方がずっと控えめで、習近平の方が伯西来よりも引っ込み思案だったことは明らかである。 坊は派手すぎて「隠蔽統治」が苦手という点で、習近平よりかなり不利である。 これは習近平の方が得意とするところである。習近平は通常、政治的な意図を明確な政策に結びつけず、兆候を見せないまま統治する傾向があるからだ。 赤狩りの声が大きいのと同じで、選挙戦や政策と銘打たないので、攻撃が集まりにくいのです。

習近平は伝統的で保守的であるが、薄熙来は前衛的で西欧的な官僚である。これは彼の意識が西欧化したと言うことではなく、西欧社会の成熟度を見ているのであり、公式の場でも閉鎖的で堅苦しいことは好まず、活気のある雰囲気を好む。

そのため、政策立案に開放的で、発想が大胆で、地域事情に合わせるのが上手な伯思来は、大連や重慶で成功したが、習近平がことごとく雄安新区を作ろうとしているのとは比べものにならない。 彼は、薄熙来からの信頼がなく、過度の自由化は彼を不安にさせる。彼は、政治的な優先順位を好むので、簡単に権力を委譲する勇気はない。 だから、たとえ伯錫来の政策を真似たとしても、何度も泥沼にはまることになる。同じ政策を違う目的のために進化させるのだから。 坊珪の場合と同様、両者にとってステップアップであり、坊珪はその価値を認め、習近平はそれを政治の規範とするつもりであった。 三合院との闘いについて、薄熙来は社会生態の改善に大きく関わっており、習近平は支持の核を作ること、つまり三合院は宗教、民主主義者などと変わらない、すべて異端者であるということだ。

経済思想の面では、両者はさらに根本的に異なる。薄熙来・シライが経済を重視するのは、それが統治の基本であることを明確にしているからだ。 この点については、政治的なスタンスを一部脇に置き、現実的なアプローチをとることができた。 しかし、習近平の場合、経済は自分の権力の延長線上にある。多くの概念において、彼は伯西来を手本にしているが、それらはすべて一種の目隠しである。-彼は人々の生活を改善し不動産価格を抑制したいと宣言しているが、就任後、最も荒っぽい不動産投機を開始した。バーチャルからリアルへ移行すると唱えながら、ねずみ講と資本ゲームに熱心である。バブルを圧迫すると主張しながら、GDPに対する債務額を拡大させた。 バブルの収束を目指すと言いながら、政権発足から10年でGDP成長率の2倍まで債務を拡大し、通貨発行量を2倍に増やしたのである。

何よりも、習近平は生まれながらの吸血体質である。高額の支出を伴う統治モデルを採用し、国家を血液供給装置のように気まぐれに扱い、必要とあらば社会に血液を送り込んでいるのだ。 彼は、自分の創造力のすべてを駆使して、富を偽装して収穫するためだけの政策を考案したのである。習近平はこの点を理解するのが難しいのだ。

習近平は政治闘争をエスカレートさせることはなかったが、習近平はそのリスクを負っていた。 また、薄熙来は下層階級の生活を重視しており、彼の政策は多かれ少なかれ社会のパレードを雨あられのように降らせる。 体制擁護の立場でもあるが、習近平のように上から下まで息苦しくかき回すのではなく、社会の活力を保持していくのである。

習近平の場合、スターリンがトロツキーにしたように坊守を扱い、彼を賞賛すると同時にその影響力を恐れた。一時は坊守の人気が国のトップリーダーを凌駕し、広く受け入れられていたのだ。 民衆の間でも、官僚の間でも、彼の影響力は消えてはいない。 そして、今日の状況を見ると、ますます多くの人が彼を恋しがるのは必然であり、それだけに習近平は気をもんでいるのだろう。

薄熙来が倒れた後、習近平が紅文化を大々的に宣伝したのは、多かれ少なかれ、彼の紅い遺産をめぐる競争だった。ちょうど、疫病の流行期に闘争司令官の座をめぐって争ったように。 同時に、大連の華僑を解体し、婦警を廃止し、重慶の交通巡視台を撤去するなど、亥の支配の痕跡を消すことに尽力してきたが、最も除去が困難なのは、彼自身の亥の影である。

総集編:習近平の民主化への道

最近の指導者の中では、習近平は、恐らく伯思来に次いで型破りな官僚であろう。 Boの開放的な性格が思考の原因だとすれば、習近平の政治的後退は理解不能の原因である。 このことについては、重大な分析がなされており、その結果の一つとして、習近平はおそらく民主化を目指している、-この姿勢は、整然とした皮肉なものではなく、政権に就いてからある種の異常さを示している、その異常さは彼の政治姿勢にそぐわない、独裁者のように振る舞っているが、その独裁ぶりはあまりにも異常である、-というものがある。 と、中国の現状では平和的進化は望めず、一時は民主化の展望に絶望感を抱いたこともあった。 しかし、習近平が政権をとってから、もう一つの事実が明らかになった。それは、ブレーク・アンド・ビルドの環境では、民主主義が生まれやすいということである。

この見解は、習近平の軌跡を現象学的に分析したものである。▽習近平は党の最高指導者としての10年間、一見すると権力強化に見えるが、既存の体制を弱体化させる形で数々の過激な政策を行った▽この弱体化は習近平の統治初期から国家のあらゆるレベルに浸透し続け、共産党統治の基盤を一層ずつ蝕んでいる。

それを裏付ける一つの論拠として、習近平の決断の多くは一見無秩序に見えるが、政権の生命線をことごとく正確に攻撃していることが挙げられる。 ほとんど外科的な方法で、彼は常にこの中央集権的な政府を解体している。 経済、生活、外交のいずれのレベルでも、深刻なジレンマを生み出し、その問題を取り返しのつかないところまで追い込むまで、無謀ともいえる政策を行っているようにみえるのだ。

習近平が多くの点で党の背中を切っていることは明らかである。このことは、習近平は父親の影響力を保持しているかもしれない、結局、習仲勲は賢明であったという推測につながる。しかし、この賢明な人物は、党内に多くの抵抗があり、与えられた条件の下で改革を達成することは不可能であることを見抜いているのだ。 また、習近平が戦術を切り替えて政治的に逆行するアプローチを取れば、かえって体制を破壊する可能性が高くなる。

政治家にとって、一族の遺産は大きな意味を持つものであり、薄一波の影響は、例えば薄熙来に見ることができる。 習近平は、中央集権的な権力を使って変化を起こすという父親の遺志を継いでいるのかどうか、疑問視されている。 彼は決して民主化への傾倒を示してはいないが、彼のイニシアティブは民主化のための条件を整えつつあり、こうした行動は中国の政治構造を熟知していなければ、有能とは言えない。 習近平は権威主義的な外見の下に何らかの民主的な意図を持っているのではないか、見れば見るほど政権転覆を狙う人物ではないかと、多くの人が終始疑っているのである。

しかし、そのような考えを持つ人の多くは、このことを否定してきた。なぜなら、習近平の気質はあまりにも場違いであり、習近平は明らかに段違いの独裁者であると言えるからである。 しかし、実はこの問題は、テレロジーの観点から考えることで、別の見方ができるのです。 — 習近平自身の意志はともかくとして、習近平の行動は変化の引き金になっている。 現在の中国の民主主義の考え方は、ほとんどがまだ非現実的な段階にあり、指導者が覚醒して、意識的に民主化を進めると想像されがちだが、これは明の支配者の考え方の別バージョンである。 しかし、独裁的な指導者が自らを転覆させることを期待すること自体が不条理である。 独裁国家では、政治の転換はむしろ時代の流れである。 だから、誰かが民主的な改革を行うことを期待するよりも、誰が民主主義の条件を促進することができるかを考えるべきである。

例えば、人々は亥西来の政治改革に期待していたが、亥は人々を麻痺させるソフト独裁をもたらす可能性が高い。これに対し、習は独裁の墓穴を掘る可能性が高い。思想的盲点が多く、より頑固なので、容易に社会の破滅と危機を察知できず、したがって政策を抑制することはないのである。 毛沢東の文化大革命が国を破滅に追い込んだように、鄧小平がいなかったらこの危難はどのような方向に向かったかわからない。習近平も同様で、政治的熱狂を極端に推し進めると、必然的に政権の崩壊に至る。

結局、中国のハンディは封建制の残滓にあり、従来の国家で民主的改革が行われたとしても、認識や妨害により逆戻りする可能性がある。 だから、たとえ人々が習近平を嫌いでも、彼がこの権威主義的な道を歩めば歩むほど、そのダメージは深くなっていくだろう。 この道は中国に苦痛をもたらす一方で、より急激な変化をもたらすだろう。

だから、たとえ彼がプロセスを失敗していても、結果には関係ないのです。 彼の行動が独裁政治の崩壊につながるのであれば、それはポジティブなことだ。 中国は何千年もの間、全体主義体制に埋もれてきたが、習近平は、すべての民主主義者ができなかったことをできるかもしれない。 昔から言われているように、”兵隊はトリックスター “です。 政治は本来、一般人には理解できないものであり、歴史を見ても、大きな変化は、一般人が期待する形ではなく、突然やってくるのが普通である。

習近平の終焉

習近平は、権威主義体制の循環的な苦境をビーコンのように示す、近年の中国を代表する指導者である。 そして、インサイダーである彼にとって、それを政治的なスタンス以外で認識することは困難である。 だから、歴史の潮流が来た時に、時代に逆らう力を作って踏ん張ろうとした。しかし、これでは困難の海に座礁してしまう。 少しでも時間を稼ごうと、歴史に名を残すことを事前に宣言したのだ。 — 中国を3つの時代に分け、前の時代を毛沢東と鄧小平の時代と定義し、自分は新しい時代の創造者であるとしたのである。

毛沢東や鄧小平は自分とは比較にならない存在であり、習近平はこの二人の共産党の巨人に縋るために自分を限りなく高めて宣伝し、まるで独白するように自分の重要性を訴え、後者にしかできないキャプションをつけたのである。

共産党には前例がない。習近平は政治的に限界に達していることは明らかで、それを諦めている。結局、彼は転向者ではなく、中国と共産党の双方にとって過渡期の指導者に過ぎないのであろう。 そして、彼は、本来あるべき姿をさらに超えて、行き過ぎてしまったのです。 それだけに、なぜ党がこれほどまでに彼を容認し、この国を今日のような状況に追い込んだのか、不思議に思う人もいるのではないでしょうか。

実はそれは、習近平が中国の行政機構を最大限に活用し、中央安全保障局などを使って党内階層をコントロールし、強い支配欲と危機感を抱いているからである。 しかし、より根本的な要因は、共産党が政権確立後の安定期にあり、強い反対勢力が生まれにくいこと、通常権力闘争を行う世代が与党の立場から遠く離れていないため、権力闘争をより高みへと押し上げやすいことであろう。 既得権益を享受してきた人たちは、祖父母と違って戦争に正面から向き合わず、殺人的な気質を持っている。安定と安楽の生活で長い間萎縮し、損得勘定に走りがちだ。

この時、強力でパワフルな個性が現れると、グループを圧倒する効果が期待できる。 そして、習近平は性格的に他の人よりも十字架を背負っていることも事実です。 つまり、習近平の強みは、党が弱いからこそ、習近平が力を発揮できることにある。 20年、30年前の政治環境であれば、このような統治は中止され、彼自身も家長によって退陣させられたことでしょう。

党が習近平を抑制することが難しくなったのは確かだが、習近平自身の手による敗北は避けられない。彼の統治方法は持続不可能で、ますます破綻した状況を生み出すだけだから、今日まで彼を支えているのは頑固な性格と後戻りできなくなる無力さである。 心を一つにする信念を得ることができず、権力本能のままに実行に移してきた。 このような気質に対して、党内の一部の者は、彼を励ますためにゴーイングマイウェイ的な態度をとり、彼の言葉を封じ、彼の過ちを正当化し、さらに彼を追い込んですべての憎悪を彼に向け、そして、共産党の循環する困難の責任を彼に押し付けるのである。

そして、習近平は、現時点では、この状況から踏み出すことができず、理想的な全体主義を追い求め、現実にはさまざまな権力闘争に利用されてしまっているのです。 –党は政治的機会を作るために彼を極端に扇動し、欧州はより多くの市場を獲得するために米中間の争いを利用し、一方で新興国は中国が産業チェーンを追い出すために西洋から身を切るように奨励し、米国は習近平の攻撃性を利用してアジアを刺激し、さらには民主主義者たちは 民主党だって、習近平の再選で共産党を倒せると期待している。

習近平はずっと世界を変えられると思っていたのだろう。しかし、既成の利害関係の前に、彼は全面的に打倒されるに違いない。 –共産党は習近平自身の利益のために世界と冷戦状態になることはない。共益を損ねることにこだわれば、結局は皆を怒らせることになる。 そうすると、誰もが反共ではなく反習の戦略を取り、双方のトップが協力関係を築き、習近平を共産党から切り離す政変に舵を切り、その結果、壁が崩れ、政治的妥協の生贄となる状況に置かれ、彼にとって危険である。

おそらく、習近平はこのような結果を予想していなかっただろうが、前途に戸惑いを覚えたはずだ。 実際、過去に彼は明晰で開放的な瞬間があった。彼の過去は初期の映像に記録されている。 – 当時のインタビューでは流暢で明晰に見え、珍しい種類の信頼性を醸し出していた。さらに、ホームビデオの中で彼は皆に向かって「A」と言ったのだ。 男は自分に忠実である方がいい”

しかし、やがて本来の姿を失い、今とは別人のようになった。初期のころは目が輝いていて、穏やかで謙虚な印象だったが、中国の指導者になってからは衰えた。 顔もオーラも激変し、目で見るのとほぼ同じ速さで老化し、オーラ全体が朽ち果てている。

最高指導者になったことで、家族、結婚、友人関係といった、かつて持っていたシンプルなものを含めて、多くのものを失ったのだろう。 政治的な駆け引きで勝ち取った勝利は維持したものの、舞台の勝者であり、自律性はかなり失われていた。

このままでは、持続可能な政治路線とは言い難い。2022年が最大のターニングポイントとなり、何らかのマジックで再選を果たしたとしても、2027年までに茨の道と本格的な破たんを迎えるだろう。 袁世凱は、自己陶酔のあまり、政治を過大評価し、ある種、対照的な時空の中で治世の全期間を過ごしたといえる。 内心では時代の帝王と自負していたかもしれないが、やがてそれが夢であったことに気づく。 そして、この理想と現実の乖離は、しばしば支配者の致命傷となり得る。

習近平は落胆したまま最期を迎えるだろう。彼にとっては、来るものは拒まず、人々は彼の没落に従うという非現実的な幻想にしがみつくことはないだろう。 支持者も離れていくだろう。 そして、皆がいなくなり、彼一人が王座についたとき、彼の政治生命は終わるのである。

※機械翻訳のため、正確性はありません

習近平を客観的に評価する 中(4万字、閲覧注意)

習近平の経済学PART1 三位一体(青年、私営企業、ビジネスオリガルヒト)

習近平の一連の戦術を見れば、彼が中国の政治秩序を再構築し、国の構造を深く変革しようとしていることは明らかであり、そのためには、経済分野での支援という中心的な条件を満たす必要がある。 就任以来、国の企業政策はますます厳しくなり、前例のない数々の取り締まりを考案し、各産業に大きなプレッシャーを与えている。

鄧小平路線が中国の現状に合わなくなったと考えていると推測されるが、より効果的な方法を提案しているとは思えない。しかし、これはまさに習近平が敷いた経済の霧であり、そこには三方構造があり、その第一層が青年管理である。

習近平は何度となく、若者の思想教育を強化する必要性を訴えてきた。 その中で、「社会主義の核となる価値観を確立し、実践するよう若者を指導したい」と述べ、「人生のバックルは最初からきちんと締めておかなければならない」と念を押している。

指導者の指示の下、文化批判の波が国中に押し寄せ、政府は「好ましくない」「反動的」「低俗」な情報に対して全面的なキャンペーンを展開し、特に芸能界を非難した。 特にエンターテイメント産業については、若者を蝕んでいるとして批判している。 国内メディアに掲載された記事:「主流派の価値観を侵食するスター志向に要注意」有名人が「アイドル」を作り、若者の心を操作していると主張。 国家ラジオ映画テレビ総局(SARFT)は、「私たちは低俗なものに抵抗し、社会主義の中核的価値を促進しなければなりません」と述べ、未成年の番組が商業化、成人化、過剰娯楽化するのを防がなければならないとしました。

政府はメディアプラットフォームに対し、「誤った価値観」を持つすべての番組を削除するよう義務づけ、「中毒を防ぐ」ために海外のゲームプラットフォームをブロックしました。 習近平は再び、イデオロギーは「青年と子供から始める」べきだと述べ、学校に対して教育の底辺を守り、核心的価値観に反する考えを広めないよう求めた。 さらに、学生の「負担を軽くする」ために、政府は中国の最も伝統的な産業の一つである課外授業に狙いを定めている。 国務院は「義務教育学生の負担軽減と校外研修の負担軽減に関する意見」を発表し、研修機関は法定休日や夏・冬休みを取ることができないこと、上場が許されず認可の対象外となること、海外講座を設けることや外国人を雇用することは厳禁であることなどを定めています。

この点、習近平は子供をターゲットにしているように見える。課外教育や娯楽は中華思想に染まっている疑いがあるからだ。しかし、この業界の大改革は習近平の経済霧の第二層にもつながる。政府は娯楽や教育だけをパージするのではなく、民間企業の業界全体に厳しく臨んでいる。習近平の政策は市場の規制ではなく、押し返そうと意図しているのである。

近年の市場統合の中で、民間企業への取り締まりはしばしば政治的な取り締まりと密接に関係していることが明らかになっている。政府は長年にわたり、重慶の李華慶、河北の孫大禹、北京の耿小南など数名の「軽率な」企業家を逮捕したが、いずれも不適切な政治的暴言や人権擁護者・反体制派のために発言したことが罪に問われたものばかりであった。

ここでも、経済の自由化が民主的な変革をもたらすという習近平の根本的な懸念が反映されている。習近平は政権獲得以来、弁護士や企業家など多くの反対勢力に遭遇したが、思想の自由と同様に、経済の自由は政治的願望を生じさせ、これが資本主義の輸入における西洋の意図であると信じているのだ。 ある意味、経済の自由化は間違いである。 修正すべきは、一人や二人の起業家ではなく、モデルそのものなのです。 習近平政権時代には、多くの企業が「違法営業」や「生産妨害」の容疑で逮捕され、営業許可を剥奪された。中国の『企業家の犯罪リスク分析』では、近年有罪判決を受けた企業家の80%以上を私企業が占めていると分析されている。

政治的に有罪にできない民間企業に対して、習近平は行政の嵐を仕掛けてきた。営業許可の厳格化や生産工程監査の厳格化などの規制を頻繁に導入し、税金や社会保障の税率も大幅に引き上げ、信用面でもその融資の敷居を上げてきた。しかし最も重大なことは、民間企業に党支部の設立を求め、官員スパイ集団を置いて監視できるようにしたことである。

政府が意図的に経営難を作り出し、流動性を枯渇させ、民間を浸食・吸収することが根本的な原因であることを見抜き、この統合の下で企業は苦闘した。企業の回転が悪くなるたびに、その背景には政府の影が見えてくるからである。 中国に金融難民が殺到した15年、16年のP2Pブームを覚えている人も多いだろう。しかし、多くのP2P企業が清算で政府に引き取られたが、負債ではなく資産だけが引き取られたことに、人々は気づいていない。

習近平にとって、経済計画の第一層と第二層は、行政組織の上の流れに従うだけであり、この霧の第三層は権力の革命である。 この革命のターゲットは、富裕層と強力な金融寡頭制であり、私企業を装って、中国の経済的生命線を独占し、政府に干渉する政治的強者の集団に支えられているのである。

これが習近平政権にとって最大の障害となり、これらの勢力を解体しようとしている。 この意図は、中国共産党第18期中央委員会第3回全体会議で初めて表明され、「改革の全面的深化に関するいくつかの重要な問題に関する決定」を打ち出し、国有資本、集団資本、非公有資本が相互に株式を保有する混合所有制経済の発展を提唱したものである。 政府は、最適な所有構造を可能にするためと主張しているが、主に民間企業の合併のルートを提供するためである。 China Unicomのような実績のない国有企業は、ハイブリッドプログラムを通じて多数のインターネット企業に出資を許可したが、資本を吸収した後も、Unicomは国家資本に支配されている。

この流れの中で、金融分野では白い恐怖が広がり、2018年まで、株式譲渡を締結した上場企業の多くが国家資本に乗っ取られ、その代表例が安邦とHNAグループ、HNAの旧株主の株式は、それがどの法律に基づいているのかは一切触れられず、何らかの清算を経て「合法的に」整理されたこと以外では どのような根拠で「残忍な成長」と言われているのかは不明だが、中国の法律では「残忍な成長」を犯罪とはしていない。 一方、2019年には、ジャック・マーがアリババの取締役を退任し、アント・フィナンシャル・サービスの上場が中止され、馬華騰はテンセントの信用法人を退任し、テンセントのゲームや音楽は反独占を理由に著作権の公開が求められるなど、さまざまな動きがありました。

習近平の狙いは明確で、企業に株式を手放させることだ。 そして、その成功の上に、「共有の富」や「第三の分配」という、共産主義原理主義の匂いのする、民間企業を標的にしやすいスローガンを、かなりずる賢く主張するようになった。 万人向けのパイを描くことで、共産党の資本家に対する第二の宣戦布告を表現したのである。

習近平の経済学 PART2 「新国営企業」(国企 PLUS)について

この経済の霧の3層が解きほぐされたが、それらがどのように全体を形成しているのか、まだ見えてこない。 習近平の得意とするところである。習近平は常に自分の戦略に目をつぶっているが、実は彼の構想の一つ一つにシステム的な目的があるのだ。 習近平政権の軌跡をたどると、青年教育、民営企業、金融寡頭政治と漠然とつながっており、それぞれ出自は異なるが、習近平の経済計画の要素であることがわかる。

この目標は、習近平が当初、過剰生産能力を吸収し、ゾンビ企業を排除すると主張した「供給サイド改革」まで遡ることができる。しかし、国有企業を破綻させる代わりに、原材料のコストアップで私企業を弱体化させたのである。 近年彼が提唱している「コモンウェルス」はその最たるもので、表向きは富裕層の民間企業から資金を調達し、政府の財政赤字を解消するというものである。 しかし、習近平は、大企業の時価総額を縮小させることも、産業が衰退して大量の失業者が出ることも、何ら臆することなく、平気でやってのける。

習近平が破壊的な計画を持っていることは明らかである。 実際、「共同富裕」を「中央集権的共産主義」に置き換えると、習近平が新しい経済モデルを計画していることが容易に理解できる。それは、経済資源を完全に支配するために、民間企業を取り締まり、国有企業を拡大するもので、習近平は、このモデルを復活させようとしている。 彼は、国家経済を復活させたいと考えている。もちろん、計画経済の形ではなく、最適化・合理化された「新しい国営企業」のシステムを作りたいのだ。

一見、経済自由化の流れを逆行させる試みだが、その根底には社会構造を単純化したいという習近平の思いがある。習近平はもともと多元主義を嫌い、すべてを政治的統一に従属させたいと考えており、就任当初からあまり受け入れられず、国際社会は彼を好意的に見ていないし、国内でも彼の実力を認めてはいない。 この問題のシナリオで7、8年政権を担ってきたが、2019年に中国でペストが発生し、疫病予防に関する政策が誤っていたとして政府が全面的に批判された時期と重なる。

このような騒ぎに直面し、習近平はかつてない危機感を抱いた。外国勢力は機会さえあれば中国に牙をむく、だから中国は「完全な独立」を果たさなければならない、と考えたのである。 しかし、経済的に外部に依存しているため、どうしても他人を見上げざるを得ない部分が多いことがわかった。 しかし、米中貿易戦争がもたらした外交的包囲網と疫病の発生は、彼の決意を刺激し、早期の政治的自立の必要性を確信させた。彼は、中国経済の将来を「国内の大循環」と「国際循環」に設定し、「二重循環」という考えを提唱した。 彼は、今後の中国経済の基調を「国内大循環」と「国際循環」の2つに設定し、「ダブルサイクル」という考え方を提唱した。 彼は、中国経済の構造を変え、国家主導で自給自足の産業形態を作り上げるつもりだ。

これは、エレクトロニクスが普及した産業革命の第3段階から、情報技術と製造が深く融合した4.0段階、すなわち「インダストリアル・インターネット」への飛躍を意味するドイツの「インダストリー4.0」という概念に基づくものである。 この段階は「インダストリアル・インターネット」とも呼ばれ、製造業のインテリジェント化を特徴としています。 この考え方は、中国では、「情報」と「産業」の2つのプロセスを統合し、工業生産とモノのインターネット、ビッグデータ、クラウドコンピューティングを融合させ、生産と供給の最適化を目指す「二元融合」へと変化しています。

2013年、工業情報化部は「情報化と工業化の深化のための特別行動計画」を発表し、国務院は李克強が中国を製造業大国に発展させることを提案した初の10年行動計画「Made in China 2025」を打ち出した。 “Made in China 2025” は “Industry 4.0” のような技術革命ではなく、製造業の変革に特化したものです。 習近平は、この変革を「ユニバーサル・マニュファクチャリングへの移行」と定義し、中国が自立していくためには、産業の強化が不可欠だと考えている。 中国は製造業大国でありながら、本来持つべき能力を引き出せていない。 彼は、中国の若者が多角化産業によって製造業から流出し、産業集積のメリットがなくなっていることから、これを労働構造の問題と捉えている。

これらの多様な産業はいわゆる「第三次産業」であり、経済学では社会的アクセスを高め、経済の活力を促進するというが、習近平は、中国の第三次産業は輸出優位性がない代わりに、欧米から(娯楽、金融、文化などを通じて)イデオロギー輸入に使われ、政府の思想統一のコストを増加させているために内部労働力の枯渇を招いていると考えるのである。

この産業モデルは、中国の企業や労働力を低下させ、第二次産業に過大な負荷を与えている。 特に教育訓練産業は、若者を欧米の教育や外国語に触れさせ、留学生や移民のインキュベーターとなり、労働力を失うだけでなく、国の外貨を奪ってしまうという、救いようのないものである。

これは政府にとって二重の損失であり、習近平はこの元凶を封じるために、断固として課外授業を封印し、英語の試験を廃止したのである。 同時に、公教育では、魯迅のような進歩的な思想を持つテキストでさえ、軒並み西洋文化を排除するようになったのです。 この動きは、質の高い教育を弱め、若者の労働意識の底上げを図るためのものだった。

この経済計画に沿って、政府は伝統的な学校制度を改革した。文部省は全国に12の「基礎教育総合改革実験区」を設置する布告を出し、「基礎教育の総合改革を継続的に深化させる」ことを呼びかけた。 この改革により、高校教育は「普通高校+特殊高校+職業高校」の3つに分けられ、「中等教育学校入学試験」を経て流れ出ることになります。

同メディアは、中国が「『インダストリー3.0』から『インダストリー4.0』への移行期にあり、高齢化と少子化が相まって製造業の流出が容易に起こりうる」ため、これが急務だと述べている。 “高度なリテラシーを持った高度熟練労働者 “の確保が急務である。 職業高校、専門高校、職業学部教育が教育改革の基本的な流れになるとともに、職業学部教育を提供する応用大学の増加も必要である。

習近平は、労働力を実際の工場に投入し、国庫に多くのキャッシュフローを生み出すための経済計画のための教育基盤を構築していることは明らかである。 そして、この経済構造は完全雇用を生み出し、中国の失業者を産業展開によって収容することを可能にする。彼の考えでは、社会主義は労働者と農民の社会であり、公有制を特徴とし、その他の余剰産業は粛清されなければならないのである。 彼は、第三次産業における消費の創出は、製造業における供給の創出よりも重要でないと考えていた。 これからの中国は、不動産屋も、ゲームのコーダーも、ペットのブリーダーも、ダンスの先生も、芸能事務所も、自費出版や研修の講師も、みんな工場の歯車になって、ものづくりや実業界に打ち込むべきでしょう。

より深いレベルでは、中国経済は危機的状況にあり、債務の累積と産業の崩壊が恐慌を招くことは必至である。 従来の対策はもはや有効ではなく、習近平はジレンマを解決するには、産業を国有企業にするしかないと考えている。 つまり、経済も政治と同じように取り組み、資源をプールして「総力戦」で臨むべきだということである。

彼は、これを計画経済への回帰ではなく、国有企業のアップグレードと見ている。国有企業の再合併は、高度な産業的優位性を持つ「大型中央企業」へと結末を迎えるだろう。

この合併の波は、2015年の華南鉄道と華北鉄道の合併に始まり、2016年の武漢鋼鉄と宝鋼の再編、17年の神華集団と国電の合併、18年の中国原子力2社の合併、19年のポリグループと中国シルクグループ、中国宝鋼と馬鋼、中国商務と遼寧港の合併、20年の中国国化公司と中国化学グループの2巨頭の合併に続くものであった。

国務院は2020年に「企業間統合の推進、困難な企業の合併・買収、国有企業の強化・最適化」を提案し、その役割は「産業集積の拡大、高品質モデル企業の創出、重複投資の削減、産業チェーンの最適化」であるとした。

このような調子で、中央企業の統合の流れは年々拡大しており、習近平は産業プロジェクトを集中させ、これらの企業を、権力者が手にする巨大企業に代わる新たな経済基幹企業にしたいという思惑があることは明らかである。 これは、産業の最適化につながり、社会構造の改善につながる可能性があります。 計画経済はうまくやればまだ優位性があり、自分の手段でゾンビ企業を復活させることができると考えているのだ。 インダストリー4.0」の文脈では、「新国営企業」だけが欧米の競争と影響に耐えられる製造力を持つことになる。

この時点で習近平の青写真は極めて明確になり、新しい経済の風景を構成する労働、産業、資本の3つの要素は、これまでの3つの次元に対応する形で次々と収まっていく。 –今日のティーンエイジャーは未来の製造労働者であり、民間企業の合併は産業集積を生み出すためであり、ビジネス・オリガルヒへの制裁は新しい国営企業のための資本調達のためである」。

習近平の経済学 PART3:”赤い貴族”

形式的には、「新国営企業」は、国有化された労働分配のようなもので、政治と経済のハイブリッド・モデルである。 習近平は中国をより純粋な製造業国にしたいと考えており、国民は労働者階級のルーツに戻り、指導者を尊敬することを学ぶことが期待されています。 同時に、西洋の影響を完全に排除する社会文化の変革も必要です。

しかし、このビジョンは官僚的な産業ユートピアに近く、習近平がインターネット・ジャイアントを制裁し、コモンウェルスを提案しても、国営工場モデルが優れている大きな理由はないのである。 製造業のシェアを上げるために他の部門を弱めるのは逆経済的です。経済が発展すればするほど、製造業のシェアは下がり、第三次産業のシェアが上がります。 また、経済の多角化はリスクに強く、インダストリー4.0といえども、あらゆる分野の労働力を工場労働者に変えなければならないわけではありません。

新国有企業」はむしろポストモダンの計画経済に近く、労働者・農民・兵士の文化と西洋の技術動向を一般化したような経済モデルである。 これがインダストリー4.0なのか、ヒトラーが描いたドイツの工業大国モデルなのか、判断が難しいところです。 産業の国家化は、財政や雇用を改善する可能性は低く、内部対立を引き起こす可能性が高い。「徳は世に与えず、民に与える」のだ。

このビジョンは明らかに習近平の強い支配欲を表しており、彼の経済計画は実際、彼の政治的アジェンダに包まれており、イランや北朝鮮のような一枚岩の体制に対する彼の願望を明らかにしている。 しかし、そのような国は単一産業志向で、経済構造も非常に脆弱であり、中国のような大国にとっては現実的ではありません。

これだけ欠点があると、習近平がどう変えようとしているのかよくわからない。いくら国営工場が発達しても、産業が政府に支配されている限り、市場化が進まず、技術的な遅れをとることになるからだ。 しかし、習近平はそのことを考慮し、市場化を否定するのではなく、むしろ経済の国家支配を強化するつもりである。 そして、この経済計画において、彼は「新世代の国有企業」を作ろうとしている。このシステムは、習近平のもう一つの重要な概念である「赤い遺伝子」との関連で十分に理解される必要がある。

習近平は、メディアで何度も「赤い遺産」を強調し、「赤い遺伝子」という造語を使った。 2004年の時点で、「赤い遺伝子を血統に組み込んで、代々受け継いでいかなければならない」と語っていたのだ。 習近平が即位してからは、この点をさらに頻繁に指摘するようになった。 軍区や旧革命区を訪れ、「赤い伝統を継承し、赤い遺伝子を受け継ぐ」と何度も繰り返した。 そして、”赤い川や山は決して色を変えない “と言った。

赤い遺伝子を受け継ぐことは習近平の国家構造の核心であり、多くの人は習近平が「赤い文化」を強調していると思っているが、実は赤い有力者の直系子孫である「赤い血」を強調しているのである。 中央党校の幹部養成講座で「党の輝かしい伝統と素晴らしいスタイルを忠実に受け継ぐことを志す」と述べた。 ……強い理想と信念をもって、党への変わらぬ忠誠心を研ぎ澄ます。” ここで彼が示しているのは、堅固で忠実な、そして純血の赤い貴族制度を構築する必要性である。

習近平の政治思想では、国はもっと徹底的に赤い息子や娘の手に委ねられるべきで、そのコントロールは政治分野だけでなく、経済分野も含まれる。 習近平の経済モデルの究極のビジョンは、絶対的な二元構造を作ることだ。 一方では、国内での近代教育を抑制し、大衆の製造技術を強化する。他方では、赤い息子や娘を積極的に西洋に送り込み、経営や技術を学ばせ、帰国してそれらの新しい国有企業の経営にあたらせるのだ。

このモデルでは、労働力の全体的な質は下がるが、企業は高度な学位を持つ紅衛兵の子孫が統治する。習近平は、市場化の欠如は経営の最適化によって解決できると考え、留学から戻った官僚の息子たちは高度な技術や経営の経験を持ち、計画経済のデメリットを解消できると考えたのである。 これからの会社は、取締役もCEOも研究開発部長も会計士も、あらゆる種類の経営者も、赤い家の子供たちになっていくだろう。 これは、2つの階級の間のギャップを無限に広げ、強固な二元論構造を形成することになりかねない。 習近平は、雑誌『求是』で、”赤い遺伝子を受け継ぎ、赤い山を代々受け継ぐ “という言葉を引用している。

習近平は「金融革新」というスローガンを掲げ、国家による金融実験を奨励し、企業は無差別に金融商品を発行し、地方政府は架空のプロジェクトに融資し、国家は派手な金融ライセンスを発行して、あらゆる種類の融資を行うようになったのだ。 これは、その後の大規模なP2Pのデフォルトと2016年の株式市場の暴落という2つの出来事を間接的に引き起こした。 しかし、この2つのバブルが崩壊した後も、資本は「ニューエコノミー」のスローガンのもと、さらなるポンジープロジェクトを生み出し続けた。

習近平が経済的な混乱を作り出し、資本を使ってプロレタリアートを貧困に戻そうと考えていることは明らかだ。これによって政治的な願望がなくなるだけでなく、貧困層が計画経済を受け入れやすくなるのである。 習近平は、貧乏人を永遠に飼い続け、純血の赤い子孫によって運営されてこそ、赤い王国がよりよく維持されると考えているのだ。 このモデルでは、官僚は上部構造であり、国民は生産手段として機能する。 まるで鞭を持った監督が労働者に社会主義のピラミッドを作るように促し、習近平が塔の頂上にいる全視界のようなものである。

突然の伝染病の発生は、習近平にこの大義を実現する機会を与え、伝染病を防いで出国するためのパスポートの取得を制限したのである。 入国管理局は、「必要不可欠でない、緊急でない理由によるパスポートの発行は行わない」と述べている。 — 留学や公務など、一般の人が国外に出ることが難しくなっている。 さらに政府は、労働力の国外への密輸を防ぐため、国境に分離グリッドの建設を開始しました。 そして、政府が出国管理を強化するのと同じように、アメリカ領事館の前には長い行列ができ、赤軍の子孫たちは特別認可手続きで海外へ猛ダッシュしていた。

今、中国の夢の輪郭が明らかになりつつあり、習近平は経済計画を支点に、道を踏み外した社会主義を再構築しようとしている。 彼が育てた新世代の権力者たちが中国経済の主導権を取り戻し、彼を核とした製造業国家を作り上げるだろう。 新国有企業」は、絶対的な赤の独占を作り出し、中国を理想的な権威主義の王国に変える。その代償として、大衆の価値と理想を消し去り、彼らに未来を残さないようにする。 この夢は、一部の権力者にとっては美しい夢だが、すべての人にとっては悪夢となるだろう。

大国の外政:第三世界と一一路 ※原文のまま

習近平の内政に対する考え方を見れば、彼が既成の秩序をあえて破壊する人物であることは明らかである。 政権をとってから数年、彼の考え方はかなり変化している。 特に、中国が欧米に依存していることが内政の障害になっていると見て、「政治的自立」が進むべき道であり、中国はある程度、欧米から切り離されなければならないと確信するようになった。

中国は資本主義が一掃された後、経済の残骸を残している。20年間、欧米のケインズ主義の投資と債権発行のモデルを踏襲してきたが、それが今ボトルネックになっている。財政刺激の効果が薄れ、投資収益が減少し、資産バブルが過度に高まっている。

中国の発展が停滞すれば、資本は必ず流出し、同時に国内のインフレを押し上げる。中国はすでに通貨量ではアメリカを抜いているが、アメリカのように通貨を輸出できない。習近平は中国を1980年代の日本と同じ状況にあると見ており、これは中国を自分たちの設計した中所得国の罠に陥れようとする欧米資本の意図的な試みだとさえ思っている。 彼は、過剰な生産能力と通貨を吸収するためには、外部に出口を求めるしかないと考えたのだ。 欧米の第三世界に対する投資の弱さを目の当たりにし、これは中国にとってチャンスだと思ったのだ。 このような背景から、彼は「ジェネレーション・オール・ザ・ウェイ」や「アジア投資銀行」の構想を練ったのである。

この政策は、遅れている地域にインフラ支援や融資を行い、二国間貿易を拡大することを主眼としている。 習近平は新しいシルクロードを作るつもりで、中国が率先してアジアインフラ投資銀行(AIIB)を設立し、一代一路の参加国に資金援助を行う。AIIBはインフラ投資の役割を果たすだけでなく、アジア開発銀行の影響力をある程度弱め、中国の経済・貿易関係をより充実させることになる。 習近平は、人民元を国際基軸通貨として推進し、欧米が好まない第三世界と中国の生産力、インフレを共有することを狙っている。

客観的に見れば、これは習近平の最高のアイデアの一つである。 鄧小平時代から保守的だった中国に対し、経済貿易協力で第三世界をリードする習近平の姿勢は、新たな自立した経済分野を切り開く可能性があります。 これは、中国の欧米への依存度を下げ、両者の貿易摩擦に対する緩衝層を作ることができる。また、「一帯一路」には、インフラ計画を通じて沿線国の軍事即応施設を獲得し、中国の政治的影響力を拡大する副次的な効果もある。

文化的信頼」や「万人のための繁栄」といった薄っぺらい概念よりも、マクロ戦略的であるため、間違いなく意味がある。これは、習近平の国際関係に対する考え方に基づいており、彼は鄧小平以来、ほとんど西側と最もコンセンサスのない指導者なのである。 彼は、人権という武器で彼らの中国への政治介入を拒否してきた指導者である。 彼はかつてインタビューで、欧米の姿勢を「食うに困らない」と評したことがある。

そこで習近平は、欧米の影響を排除した包括的な政治的自立を目指した。当時のソ連のように、第三世界を引き込もうと考えるのは自然なことであった。 しかし、習近平は明らかにソ連の指導者よりも自分が成熟していると考えている。なぜなら、習近平は米国のマーシャルプランに似た経済主導の同盟を作ろうとしているからである。 第二次世界大戦後にアメリカが行ったように、経済協力で政治的互恵関係を築くつもりである。 もし「一代一路」が成功すれば、中国は当時のアメリカのような影響力を得ることになり、世界に東の上昇と西の下降をもたらすかもしれないのだ。

世代一路が複合チェスであることは明らかだが、経済計画としての核心は、その条件の実現性にある。しかし、第三世界は、習近平の債務救済によって経済が誘拐されることを恐れて、揺らいでいるのである。 そして、「世代一路」の参加国の多くは政治的に不安定で、中には主権争いをしている国もある。最も重要なのは、その信用度が常に低いことだ。彼らは当初、中国からの援助や融資を拒否していなかったが、中国からの投資後、責任逃れのためにさまざまな手段に出た。中国は内政干渉をしているとか、アフリカで労働力を輸出しているとか、融資を使って自国に債務のわなを作ったと非難したりしたのだ。

途中、ちょっとした摩擦から始まったものが世代交代し、その後、多くの国が一斉にデフォルトに陥り、さらに、正に中国のようなプロジェクトを国有化するようになりました。 そして、人民元の国際化は、それを手にした一部の国が米ドルに手を出し、基軸通貨としての約束を空しくしてしまうという不条理にも見舞われている。

習近平は、これらの国々が大げさな戦争意識で自国に対応するまでに至っていることを知った。彼らは、一代で上前をはねるだけで、中国が掲げる経済同盟を無視しているのだ。 習近平が「一代一路」をパンクさせようとしているが、このプロジェクトはあまりにも多くの矛盾を抱えている。欧米がこのプロジェクトに対抗措置を取るかどうかはともかく、あの第三世界の参加者だけでは後手に回るリスクが大きい。また、シルクロードにはインドなど中国の宿敵もおり、習の地政学的拡大を黙って見ているとは言い難い。

それでも習近平は、様々な貿易提携を積極的に行い、多国間関係の構築を何度も試みている。 例えば、ASEANのRCEP(地域経済連携協定)に参加したが、RCEP参加国のほとんどが貿易保護主義国であるにもかかわらず、中国には黒字が出ない。しかし、習近平はこれを利用してシルクロードを売り込もうとしている。さらに多くの国を仲間にしようとしており、紛争をさけてまでインドを連れてきているのだ。

習近平は「全人代」に付随して、「人類運命共同体」という概念も作り出した。 この調子で、中国は自国の価値観を他国に輸出する一方、第三国の若者を留学させ、受験の必要がなく、政府の生活保障を受けられ、学費も国から補助されるようにリクルートしている。 さらに、習近平はアフリカの人々に補助金や寄付金という形で恩恵を与え、またいくつかの国の債務を免除している。 しかし、これでは、彼の政策は、新時代のマーシャルプランというより、新時代の金本位外交のように見えてしまう。

大国の外交:ペストとナショナリズム

外交では、習近平と毛沢東を比較するのは簡単だ。両者とも第三世界を統一して西側に対抗する政策を持っていたのだから。 習近平は毛沢東に比べればまだ現実主義的だが、2人の最大の共通点は、単に経済的な損得を考えるのではなく、政治的な利害を重視していることだ。

また、独裁国家の外交政策は、指導者の気質や体質によるところが大きい。共産党の幹部は、当初から欧米に対して抵抗感が強い人が多く、その中でも習近平は特に古風で、制度的な空気が強く、国際社会にはなじまないスタイルで、これまでの中国の指導者に比べて特に欧米からの評価が低く、そのため、習近平の外交は、欧米に対抗するために、欧米に対抗するためのものである。

そのため、異体制と肩を並べるよりも、外交に安らぎを求めるようになった。 彼は、欧米の経済的利益よりも、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの「貧しい友人」の政治的支援を好む。 この個人的な好みと彼の政治的な目的が混同され、それがうっかりと彼の外交政策決定に影響を及ぼしてしまったのだ。

一方、中国の開放の20年、30年の間に、国際社会との間に数々の軋轢が蓄積され、それが政治的な引継ぎによって習近平に移った。これらの問題は、習近平の任期中に終了する経済サイクルの終わりに集約されることになるだろう。 第一に、WTO加盟時に申請した15年の保護期間が満了したにもかかわらず、中国が合意通りに市場を開放していないことに、欧米諸国は騙されたと感じていることである。 同時に、中国は貿易における輸出規制やダンピング競争、資本参加による外国技術の盗用などで非難されている。

習近平の態度からは、こうした論争に耳を貸すつもりはないようだ。そもそも中国は市場開放の準備ができておらず、しかも経済の自由化は政治の進化につながると考えているのだ。 しかも、習近平は欧米の要人と中国のエリートが結託していることを問題視しており、中国を開放するどころか、経済的な閉鎖性を強めているのである。

欧米諸国もWTOの効果のない仲裁に我慢できなくなり、オバマは2期目の任期中にTPP(環太平洋パートナーシップ)に参加し始め、世界の主要経済国を束ね、中国に対する貿易禁輸に踏み切った。 しかし、トランプが政権を取り、この協定を破棄し、中国にデタントの余地を与えてしまったのです。 しかし、トランプ氏は、中国が貿易補助金や知的財産権の侵害を行っていると批判し、また、さまざまな手段でイランを救済していることから、米国の禁輸措置が無効となり、結局、2018年の貿易制裁の引き金となったのである。

米国の輸出関税の引き上げを前に、中国は補助金を増やすしかなく、経済冷戦の時代が始まったとも言える。 ちょうど湖北でコロナウイルスが発生し、世界的に拡大した時期と重なり、公衆衛生上の問題であるにもかかわらず、国内外の世論は政府の対応のまずさを非難し、習近平政権の責任とし、これが習近平のパニックを誘発して一歩も譲らず、このPR危機を政治手段で打開しようと考えていた。 — 中国が強くなったからこそ、帝国主義が打って出たのだ、今こそ人民は指導者のもとに集まらなければならない、と国民の怒りをあおったのだ。 同時に、政府の対外的なトーンが一変し、外務省は厳しい姿勢で世界と対峙し始め、ネット上の論客はこぞって罵倒と攻撃を浴びせかけたのである。

このような情勢の中で、メディアは、もはや時間を稼ぐことは現在には当てはまらない、中国が台頭するには帝国主義との戦争に勝たなければならない、この戦争は欧米だけでなく、中国の衰退を傍観している国にも当てはまる、と主張している。 習近平は、世界の中国に対する敵意を招いたのは、目前に迫った国家の大ルネッサンスであると国民に信じ込ませようとしているのである。

それは鬱憤晴らしのナショナリズムであり、習近平の世界との対決はむしろ正義の戦いに近い。中国外務省は議論するのではなく、舌鋒鋭く披露することが非常に多いのだ。 習近平が直面している状況は、鄧小平の時代ほど困難ではないが、かつてないほどの攻撃性を見せている。

実は、この激しい反応は習近平自身の危機感から来ている。-政権をとってから、国内経済は不況に陥り、対外紛争も増え、すでに習近平は国の指導者としてふさわしくないという疑念が多く、ペストの発生はさらに権力危機への風穴となり、世界は中国の疫病処理の怠慢を非難し、ウイルスの発生源を突き止めよと要求し、習はこれまでになく危機感を持っているのである。

一刻も早くケジメをつけ、戦局を転換させたい彼は、ナショナリズムという武器に頼ったのだ。 –外務省は、アメリカから伝染してイタリア、フランスなどへ伝染すると国際的な陰謀論を国民に吹聴してきたが、ついに、世界人口の50%を一掃しようとするフリーメイソンのアングロサクソン計画に焦点を移し、毒殺はその第一歩に過ぎないと単純に言い放った。

この戦術は、習近平がここまで理不尽なことをするとは思わなかったという、世界の強い反発を招いた。 そして、習近平は、下手をすると内外の勢力が自分を権力の座から引きずり下ろす機会を狙ってくるので、自分が主導権を握らなければならないと、交渉の意思を放棄しているのである。 だから、彼が脅威を感じれば感じるほど、中国の対外的な見せ方の鋭さは強くなる。 習近平は国民感情を高揚させ続け、中華民族の危機という美辞麗句を説き、台湾に対する新たな軍事的威嚇を開始した。軍艦や戦闘機を哨戒に送り込み、台湾を強襲する雰囲気を作り、この軍事活動を南シナ海にも拡大し、中国の主権を主張する高姿勢をとっているのである。

習近平は自分の権威を主張するために国運を賭けることを厭わず、世界を前にしても、壁に背を向けて戦おうとする姿勢が見て取れる。 外国のメディアは、彼が「対決」していると宣言し、この4つのアプローチでますます多くの国を怒らせ、民主主義世界に制度的競争の匂いを与えた。彼は外国の力を誇示して危機を解決しようとしたが、その代わりに、一歩も引かないことに同意させ、経済的に中国を弱めるつもりであることを世界に示した。

これは中国にとって危険なことである。鄧小平は制度競争の危険性を知っていたからこそ、時間を置くように言ったのだが、習近平は再び西側の敵意を刺激した。最初は曖昧にして共産党に好意を放とうとした国もあったが、習は彼らが悪意を抱き、党幹部とひそかに連絡を取り合うことに熱心であると恐れているのである。 危機が去るまで闘争を続けるつもりで、宣伝もますます攻撃的で好戦的になっている。

しかし、そうした動きが世界を再統一した。-欧米とアジア太平洋は経済貿易関係の再構築に関心を持ち、台湾、米国、日本、欧州の間で「サプライチェーンの再構築」に向けた話し合いが行われている。注目されていた中国とEUの貿易フォーラムは影を潜めたが、かつてトランプが拒否権を発動したTPPは、中国製造業の代替となる国々を含む新版CPTPP協定に形を変えている。

そして軍事的には、中国を地政学的に封じ込めるために、アジア太平洋、欧州、米国が相互防衛協定を結び始めている。 そして、南シナ海での中国の軍事活動に呼応して、世界では軍事演習や軍備拡張の動きが再び見られるようになった。 そして、こうしたことが、中国と世界を、これまで避けてきた制度的な競争に追い込んでいる。

毛沢東以来の最悪の外交時期であり、その打開策として習近平は常に外部の脅威を煽り、「世界は未曾有の大転換期に入っている」「中華民族は大再生の正念場を迎えている」と国民に語りかけているのである。

しかしこれは、習近平が民族闘争を説きながら炎上を注意深く見守り、メディアが大衆を煽り続けながら熱狂を許さず、人々は、性的パートナーもいない愛国者の皮肉屋に媚薬を与え続けて、ただ無心に体を消耗しているような、空虚な対象と戦っていると感じているのだろう。

習近平は少なくともモディやプーチンに比べれば政治的な強者ではないので、彼の自己主張はむしろ偽装に近い。 習近平は民主主義国家には容赦ないが、ロシアやインドなどには低姿勢である。ロシアがベトナムと南シナ海での石油開発を発表したとき、中国メディアは異常に沈黙し、ADBはインドと中国の国境紛争の直後に融資を行った。 — 習近平は、闘争外交を推進する一方で、近隣の真の脅威に対しては異常に弱腰である。

グランド・チェス・ゲーム:第二次中央集権化

実際、習近平は政治的な観点だけから見れば、非常に優れた戦略家であり、また体系的に行動しているが、目標の選択とその実行において現実を覆す傾向があるほど、深刻な認知バイアスに悩まされているのだ。 共産党も権力の座に長くとどまりたいと考えており、そのプロセスを明らかに短縮しているのだ。

しかし、習近平は、さまざまな失敗の原因は、権力の集中化が十分でないこと、党内にまだ多くの派閥があり、習近平を抑制し、政治的意見の統一を欠いていることだと考えている。 そのため、彼は組織規律を再確立し、集団指導から個人集中への第二の移行を推進したいと考えている。毛沢東独裁と自身の経済計画を組み合わせれば、共産党は必ず若返ると信じているのである。
しかし、彼の平素の業績はあまりに悪く、支持を得ることが困難であることを恐れている。そこで、彼は流行の機会を捉えて、統治の正統性と引き換えに国家の危機を作り出した。こうした態度は国際的に孤立を招いているが、習氏は、世界がまだ彼の決意を見ていないからだ、だから手放す必要がある、と考えている。 そして、対外的なデモンストレーションの中で、すでに南半球のオーストラリアという標的を選んでいる。-オーストラリアはファイブ・アイズ同盟のメンバーであり、アメリカと協力して中国の人権問題を告発し、同時に中国の太平洋地域での拡大を封じ込めている。この国はファーウェイのネットワークの不買運動を主導し、新冠流行を調査することを提案している。 の出所です。

習近平は、オーストラリアの中国への貿易依存度の高さ、人の心を読めないことを旗印にすべきと考えている。 彼は多くの製品でオーストラリアの輸出を制限し、彼らの船を港から締め出し、反ダンピング関税を課している。 この全面的な打撃は、オーストラリア経済に大きな打撃を与え、世界に模範的な影響を与え、やがて中国市場を自分の手にすることができると考えたのである。

しかし、オーストラリアは米国と日本の支援を受け、後にEUも加わった。これらの国はオーストラリアと共に、より安定した経済貿易関係を求めてTPTPP地域連合を加速させ、原材料価格の上昇と共に、オーストラリアも縮小する輸出の損失を補うことができた。 –またしても習近平は、民主主義の尊厳を軽視するという主観的な過ちを犯してしまった。 オーストラリアの自己主張は、中国がエネルギー輸入をボイコットした結果、自国のエネルギー不足を招き、涙を呑んだ結果、他国の代替品を高い値段で購入しなければならず、まさにオーストラリアが輸出しているものであるため、難しい立場に立たされることになったのです。

習近平が期待した勝利ではなく、中国経済の機能悪化の兆しが見える。 そして、このタイミングで中国と競合する国々が市場を押さえ始め、インドは関税を利用して中国の産業チェーンを群がり、自国に資本が流れるようになり、ベトナムやメキシコなどの国々は世界から貿易受注を始め、次第に新しい製造拠点となった。 習近平は、中国の産業は代替可能であるという指摘を常に忘れており、その姿勢は、世界のサプライチェーン再構築への決意を強めている。

特にアメリカは、これまで中国に多くのものを与えてきたため、きめ細かく面倒をみてきた。 –学生運動弾圧後の欧米の受け入れ、WTOの最恵国待遇、産業振興の技術支援など、共産党が勝ち取った国際的勝利の多くは米国の支援を受けていたが、習近平はこのケアを利用して、貿易レベルだけでなく人権問題などでも欧米の譲歩を求め、政治恐喝を展開している。 コンセッション

そのため、既成の枠組みを常に変え、交渉の場を常に圧迫する習近平との意思疎通は難しく、習近平はかつて米国に物資や食料の購入を約束し親善を図ったが、その注文を取り消した。中国は国連で公益のための国際協調を約束したが、結局はこれらの問題を政治談義に混ぜている。 世界は習近平の不規則な行動に我慢の限界にきている。彼は関係のない問題を持ち出し、異なる交渉材料を混ぜ合わせ続けるのである。

また、習近平は、西側諸国が自分自身を疎外し、党内で自分の後任を煽ることに熱心であると見ている。 対外関係を修復する前に、政権を維持するつもりなのだろう。 政情が安定した途端に民主主義国が群がり、鄧小平が厳しい包囲網に直面したように、世界は中国の市場・供給システムなしにはやっていけないと考えているのだ。 習近平は、欧米の人権非難は単なる偽善であり、自分が再選され、「新国営企業」で経済を復活させれば、世界は必ずや考えを改め、自分が望む「政治的独立」を手に入れることができると考えているのである。

だから、国際秩序を崩すつもりはないというメッセージを折に触れて発信しているのです。 しかし、欧米諸国はこれに納得せず、習近平が本気ではないこと、権威を固めた以上、さらにルールを破るに違いないと見ており、世界の強権発動はますます強まっている。

このような反応では、習近平は退陣することが難しく、戦略的優位性を失い、世界に対する中国の影響力は弱くなる。 そして、彼自身の中央集権化は、西側諸国が屈しなければ説得力を持たないだろう。 再び権力の座を追われる危機が迫り、世間から切り離されても権力を維持しようと決意する。 大国の台頭と二重サイクルの説教を強め、外交的損失を強力な軍事態勢で埋め合わせた。台湾海峡と南シナ海に軍艦を航行させただけでなく、米国本土を抑止するために太平洋に深く入りたいとまで言い出したのである。 しかし、これによって近隣諸国は危機感を抱き、台湾と連帯し、様々な分野で中国をボイコットする動きが出始めている。

習近平の計画がすべて思うように進んでいないとも言えるが、習近平は、粘れば必ず西側が妥協してくれると信じている。 しかし、同党は、果てしない外交的対立が国を疲弊させ、本当の国際紛争につながることを恐れている。欧米だけでなく、ベトナム、フィリピン、日本などのアジア太平洋諸国も自己主張を強め、インドと中国の対立は毛沢東時代以来最高潮に達しているのだから。

グレートゲーム:家族計画とチップの大躍進

実際、習近平の政治的失敗の多くは、彼の思想に実証的根拠がないことに起因している。 しかも、政治的地位と個人の尊厳を保つために、どうしようもない奈落の底に落ちてしまった。 彼は、自分の個人的な計画を家族や国家という衣で包み、非常に斬新な方法で政治的アイデアをパッケージ化しているが、彼の無謀な権力の集中は集団の利益を著しく損なっている。

また、客観的に見れば、習近平は運が悪かった。中国が不況に入り始めた経済サイクルの転換期に就任し、政権をとった10年間で国家債務と通貨発行量が爆発的に増加したが、財政出動の限界効果は薄れつつある。 これに対して、世代交代や技術高度化などの戦略を次々と考案したが、前者は阻止され、後者は貿易戦争で保留にされた。 一方、輸出では、ベトナムやインドなどの新興国との競争にさらされた。 習近平自身というよりも、経済サイクルや産業構造によるところが大きいのですが、明らかにマクロ的に衰退している状態です。

しかし、中国のある種の政策が減少傾向を悪化させた。特に家族計画である。 – 中国の出生率のピークは1960年代で、たまたま最初の20〜30年間は労働力の主役であった世代である。 その後、家族計画は何十年も続き、中国の人口動態はトップヘビーとなった。習近平が政権をとったとき、出生率が最も高かった世代はちょうど老齢期を迎え、年金を受け取る人の仲間入りをしたのである。 政府は急遽、家族計画の非合法化に乗り出したが、社会的コストの増大が再び出生率を阻害することになった。

この流れは短期的には蹴られないが、その影響は年々遅れていくだろう。 高齢者の割合が増えれば財政負担が増え、若者が減れば経済の活力が失われます。 また、中国は人口が多いにもかかわらず、GDPに占める消費の割合が低く、これは欧米だけでなく、インドやベトナムなどの国々と比べても低いため、まだ消費に期待することはできません。

習近平は任期中に第2子、第3子と相次いで開国したが、この少子化対策は絵に描いた餅だ。 社会福祉が改善されず、政府が内部搾取を強化していることもあり、若者は怯えている。- 習近平の政策は過激で、一方で国際戦略を拡大し、他方で国営経済を発展させようとしており、中国は収入と支出の面で二重の負担を強いられているのである。 これに対して習近平は、周りを見て露骨に盗むことしかできなかった。-地方の土地の利権を中央政府に移し、不動産税を上げた。企業の管理費と社会保障費の支払いベースを引き上げ、定年を遅らせた。さらに、数千万人の党員に党費の返済を促し、行政機関や組織の手当とボーナスは減らした。

近年、自営業者やフリーランス、電子商取引事業者が裏金を要求されたり、高額所得者が所得税の再計算を求められたりしたほか、税関が海産物の検査を強化し、商品の持ち込みに水をかけたり、地方自治体が上下して各分野の行政認可を増やしたり、司法が街並を固定してバイクや電気を禁止するなど罰金の種類を増やしたりしています。

習近平は困難を乗り切るために、あらゆる手段で社会をあぶり出している。発展改革委員会のヒアリングを聞けば、商品の値上げが行われることは理解できるだろう。 習近平は常に人民の圧力を試し、中国人が基本的な生存欲求を超えてどれだけ搾り取る余地があるかを量り、人民の闘争の端でインフレを維持し、生存欲求を低下させることにつながる。 –資本にも政府にも搾取され、新しい世代の若者は積極的に失業して政府の税収にならないことを選ぶだろうし、いくら子供ができても、共産党のために子孫を残したいと思わなくなる人も出てくるはずだ。

しかし、習近平は権力で経済を動かすことができると確信しており、全国民が一緒に嵐を乗り切ることを望んでいる。国家体制は共産主義の強さそのものなので、全国民を動員すれば素晴らしい効果が得られる。例えば、人口バランスが悪いと見れば、もっと子供を産むように社会に求め、アメリカが技術輸出をブロックすれば、政府はチップ開発に何兆円も投資するのである。

しかし、これで中国は大躍進のような華やかな時代に逆戻りした。–ファーウェイのチップ供給が断たれたまさにその夜、中国製チップの発売のニュースがメディアに流れ、まるであらゆる技術の壁が一夜にして一気に突破されたかのように、チップ業界に大きな衛星分野が出現した。中国は再び、イギリスに追いつき、アメリカを追い越すという雰囲気になり、補助金をごまかした企業も出現した。 中国は再び英国に追いつき追い越せムードになり、補助金詐欺師が群がり、資源の独占で習近平のチップ資金が山分けになる。 政治は、技術の進歩を促進する上で、市場化よりもはるかに効果が低い。 しかし、習近平は、国が国民的努力で原爆を作れたのなら、同じ動員力でチップを作ることができると考えた。

しかし、このような選挙戦型のガバナンスは、結局のところ現実からかけ離れている。習近平は多くのコンセプトを打ち出したが、どれもうまく実現したことはない。習近平は過剰な野心を持ち、曲げて追い越すことに一点集中している。「一路」や南シナ海での島や岩の建設、チップにおける大躍進など、すべてはコストのかかる冒険主義である。 このため、改革開放で蓄積した富を急速に浪費することになり、党内では、将来の中国が資源輸入で外貨不足に陥ることを懸念し、警戒感を強めている。

※機械翻訳の為、内容に正確性はありません。

習近平を客観的に評価する 上(4万字、閲覧注意)

習近平と新しい中国

2012年は、中国が世界の注目を集めました。世界最大の一党独裁政権である中国共産党の指導者交代が行われ、世界の政治に影響を与えることが確実視された年でした。 新しいリーダー、習近平がスポットライトを浴び、政治の伝統である「党内選挙」と「秘密投票」によって国家元首に選ばれ、第18回大会で中国共産党総書記と発表された。 第18回全国代表大会では、中国共産党中央委員会総書記、軍事委員会主席への就任が発表された。

この新しいリーダーに関する情報は曖昧で、中国人にはあまり知られていない。 新たに選出された政治局常務委員会が世界各国の記者に披露され、最高指導者がメディアに手を振った。 習近平は、中国にとっての共産党の積極的な意義について恒例の宣言をした後、新しい指導者が歴史を受け継ぎ、国を前に導いていくと述べた。 中国は世界についてもっと学ぶ必要があり、世界は中国についてもっと学ぶ必要がある」と締めくくった。

この時点では、この人が中国をどうするのかという憶測もあり、多くの人が習近平を実直な指導者として肯定的に受け止めていた。 国民も、中国を民主化へと導く啓蒙君主として、特に知識人たちは大きな期待を寄せていた。

しかし、振り返ってみると、胡錦濤が政権をとったときも、国民の反応は同じだった。さらに遡ると、中国人はリーダーが誕生するたびに、「明るい支配者が現れ、国が中興する」という春の夢を見ていることがわかる。 しかし、数年もすると、その熱意と期待は裏切られ、人々は再び次の輝かしい支配者に目を向け始める。

中国人はキリスト教徒よりも遺伝的に救世主を熱望しているように見えるのは珍しい現象である。それぞれの王朝が最終的に国を奈落の底に突き落としたとしても、その炎は決して消えない。儒教は長い間、中国に王国の時代が到来し、燕王の子供たちは王としての至福の地に住むと予言してきた。

習近平は、中国に新しい風を吹き込むべく、新たな舵取りとして、新しい政治綱領、異なる考え方を打ち出した。 だから、この国をもう一度飛躍させ、国際的な地位を高めたいと思ったのだ。 彼はこのビジョンを「中国の夢」と呼び、先人たちと同様、改革を深化させ、貧困をなくし、国民全体を「豊かな社会」にすることを提案した。

しかし、多くの場合、成熟した見方をすればするほど、政治的な幻想は少なくなる。冷静な人は、独裁的な指導者に善を行うことを期待せず、破壊を控えることだけを期待するのである。 人々はまだ「中国の夢」が国を前に導いていると錯覚しているが、新リーダーはすでに舵を逆方向に切っている。 — Bo Xilaiが重慶を賞賛していたとき、彼よりもさらに上を行く人物が現れるとは誰も想像していなかっただろう。 習近平は赤色思想に基づく国家主義を説き始め、思想的なスタイル構築を強調し、社会風土の是正を提案している。

政府は人々の言動を監視し、デリケートな話題の議論を禁止するようになり、メディアの論調も次第に変化し、多くのウェブサイトが検閲を受けるようになった。 中国人の心の楽園であったソーシャルメディアに、サイバーポリスやオピニオンリーダーが群がるようになったのだ。 中国の世論空間には多くの立ち入り禁止区域が設けられ、人々は多くの場所で足場を極端に狭くしてしまったことに気づかされた。

同時に、中国における監視の度合いも飛躍的に高まり、都市から地方まで政府の目が至るところに行き届いている。 都市では「グリッド型」のコミュニティシステムが運用され始め、私的な集会や賃金請求、陳情は厳しく管理され、司法では言論による「挑発」や「国家権力の転覆」が行われるようになった。 中央政府を傲慢に論じる」ことも犯罪になりかねないという意見まで出ている。

習近平がもたらしたのは、坊やがマイクを持った赤い太鼓なら、習近平は支配者を連れてきたというような異常な雰囲気であり、坊や時代をはるかに超える不安感が中国全土に漂っているのだ。 赤い独裁の復活がこれほど身近に感じられたことはなく、習近平が率いる新中国が前進するというメディアのシナリオがより鮮明になっている時である

リーダーとしての私的な肖像

習近平は、スタイルが不確かで、言動が逸脱することが多いため、これまであまり外部に姿を現すことはなかった。 多くの資質が観察されるが、そのどれもが彼を定義するには不十分であり、同時に、超越的な人格の肖像として提示されるのである。 この超越は、政治的理想主義とある種のイコノクラスムを帯びている。習近平は、世界にインパクトを与えるために、伝統よりも高い位置に立とうとしているのだ。

政権発足後の主な行動の一つが汚職の取り締まりで、2年間で数百人の汚職官僚を取り締まり、数百億ドルの盗難金を回収した。 メディアは、彼が中国の政治文化を変え、政治資金を築いたと主張したが、同時に、彼は優雅で、尊敬に値する堂々とした政治的イメージを示すことを忘れず、頻繁に軍事地域を訪れ、戦略計画や指示を出し、軍隊に認識と警戒をさせ、人民側では父親的心を示し、人々と握手し、子供を抱き上げる写真を何度も撮られた。 マスコミは、スターリンやサダムが独裁者だったころのように、国民と握手し、子供を抱く姿を何度も撮影している。

しかし、習近平の願望は明らかにそれを超えており、適合的な後継者になるのではなく、前任者と差別化することを望んでいるのである。 よりアグレッシブに自分をアピールしていくつもりだ。

習近平はこの意欲によって、自らを前向きで技術的な指導者であるとする、大規模なイメージプロジェクトに乗り出したのである。 山登り、テニス、バレーボール、武道、さらには雪や氷など、あらゆるスポーツが好きだとメディアに宣言し、訪米中のオバマ大統領がスポーツについて話すと、習はすぐに「泳ぐことが好きで毎日1000メートル泳いでいる」と言った。

もちろん、習近平の発信に呼応するように、国内では習近平がスポーツに熱中していることを証明するために、習近平の田舎暮らしの話や、青年労働者としての勇気ある7年間の話などがメディアに掲載された。

これらの報道は、指導者の好感を得、習近平の気迫を感じさせるものであった。 そして、リーダーの寵愛を受けるために、人々はより多くの方法を考え出した。 また、饅頭屋で食事をすると、すぐに誰かが「饅頭屋」という歌を作って、その親しみやすさを褒め称えていた。

いずれもそれなりに評価された人たちであり、取り残されることを恐れた人たちもいた。 2016年に習近平が新華社を訪問した直後、同社の編集者が指導者への深い愛情を込めて「総書記、あなたの背中私の視線」という詩を書き、ある学者が中国の有名な「規律と啓蒙」を模して「習子桂」という作品を作り、習の思慮深い洞察を称え、中国の姓の最も権威ある系図「百姓名」は民間作家が変更し ロシアの歌「プーチンのような男と結婚したいなら」が「習のような男と結婚したいなら」、その姉妹歌「男になりたいなら習のような男になれ」にアレンジされ、「我が家には習がいる」という子供向けバージョンまである。

中国の指導者が権力を握るたびに、文学界では必ずと言っていいほど、さまざまな憶測が飛び交う。 しかし、習近平はそもそもプロパガンダの上限を高く設定したため、客引きの口調は次第に萎縮していった。 –習近平を新しい赤い指導者になぞらえて、「あなたに従うことは、あの太陽に従うことだ」と歌を作る人もいれば、「東方は赤い」をもとに「東方はまた赤い」、「習総書記の優しさは決して忘れない」と書き、赤い歌に大胆に曲を送る人もいる。

しかし、毛沢東以降、指導者のために赤い歌を詠むことはタブー視され、習近平は毛沢東と並ぶ地位にあるのだ。 しかし、政府は、リーダーがこれに反発せず、むしろ受け入れているように見えると判断し、黙認の姿勢をとった。 その結果、プロパガンダが暴走し、その流れは国内から海外へと波及し始め、その先頭を走っていたのが習近平自身であった。

習近平は政権をとった最初の数年間、メディアで「私の最大の情熱は読書だ」と発言し、「読書を愛し、良い本を読み、良く読む」ことを皆に呼びかけた。 この言葉を受け、メディアは習近平の本との親和性を宣伝し、「指導者の本」をリストアップしはじめた。 そして、「ネチズン」たちは、「大統領の博識は賞賛に値する」、「リーダーの勤勉さは人を恥ずかしくさせる」…と絶賛しているのである。 …

この時期の主要メディアは、ほとんど習近平の読書談義を称えるものばかりだった。 しかし、中国の古い言葉に “飯は腹八分目、口八丁 “というのがある。 一つのことにすぐ手を出すと、余韻を残すことが多い。 しかし、メディアの自慢話は習近平の大胆さを煽り、取り返しのつかない道を歩ませることになった。 2014年初め、ロシアで開催された冬季オリンピックに出席した習近平は、取材に対し、「読書は私にとって生活の一部になっている」と語り、これまで読んだロシアの作家を引き合いに出し、ゴリ、レールモントフ、プーシキン、クリロフなど ゴリ、レールモントフ、プーシキン、クリロフ、オストロフスキーなど、読んだことのあるロシアの作家を挙げ、今でも著書の中の名章をたくさん覚えているという。

同年3月、習近平は仏中国交樹立50周年記念大会に出席し、奇妙な原稿を出し、カメラに向かって、自分が読んだフランスの名著、尊敬するフランスの芸術を一行ずつ読み上げ始めた。 ただ、フランス語ではモンテーニュ、ラ・フォンテーヌ、スタンダール、フローベール、デュマ、そしてヴェルヌまで、美術ではモネ、セザンヌ、ロダンまで、リストが変わっただけで、ロシアと同じ光景であった。

この演説の雰囲気はやや異常で、明らかにフランス人を困惑させた。しかし、習近平の演説の効果はまだ広がっておらず、これでスタートを切ることができた。2015年の英国公式訪問の際、習近平は習慣的にロンドン晩餐会の原稿を取り出して、本のリストを読み始めた。今回は演説が長く、全体にいくつかのインターバルがあった。 古代ギリシャの有名人から現代の芸術家まで、そしてもちろんイギリスを特別に取り上げて読んだ。

この時、習近平はレールから外れ、世界中の書物のタイトルを取るのを待っていた。 同年の訪米でも、アメリカ人のことを省みず、演説の中で有力な文学者や著作をまくし立てた。 この国をまたぐ訪問の際、習近平は演説を生々しく発表に変えた。台本があまりにも長いため、次々と撤回し、演説から顔を上げる前に一字一句内容を読み上げなければならないほどだった。 そして、そのリストは、文学、歴史、哲学から経済、政治まで、秦の賢人や息子から西洋美術まで、ほとんど世界の名著の大要のような圧倒的なものである

しかし、習近平はおそらく気づかなかったと思うが、リストを何度か読み上げるうちに、微妙な空気が漂い始めた。海外の聴衆は、独裁的な指導者が自国の文化を売りにしていることに呆れ、特に中国人は、習が今、中国を代表しているので、多くの人がその姿を見て赤面し、恥ずかしがっている。 習近平の名を世に知らしめたことで、国際的なブックリストがネット上に乱立し始めた。しかし同時に、習近平のハンドラーたちにも災厄を予感させる者がいた。


スキーム・ミニスターについて

朱元璋の宮廷画家が彼の本来の顔を描かなかったように、独裁的な指導者の場合、彼の尊厳を損なわないように、大臣たちが理想的な人物像を描くのが一般的である。 しかし、独裁者は判断を曇らせずに閣僚のお世辞を信じることはできない。習近平のスタッフがそうだったように、まるで集団の呪文にかかったように、本のリストを読むような巧妙さが個人のカリスマを生み出すと、魔法で信じてしまったほどだ。そして何より不思議なことに、習近平は魔法でそうしてしまった。人民日報はこれらの記事を「習氏」として重大問題にした 最も異様だったのは、習近平も同じことをやっていて、人民日報がこれらの記事を「習近平ブックリスト」として本気で掲載したことだ。

これは間違いなく最近の政治で最も不合理な茶番劇の一つである。最も無知な一国の指導者でさえ、これほどまでに常軌を逸したことはないだろうからだ。 この読書会では、まさに彼の窮乏ぶりが明らかになり、完全に嘲笑の対象となった。 習近平が悪知恵の集団であったとすれば、習近平自身は無知と大胆不敵さを発揮した。そして最も重要なことは、彼らが反応した時には、この失敗を元に戻すには遅すぎるということに気づいたことである。

そして、この動きには副次的な効果がある。それは、習近平が自らを切り捨てたということだ。わざわざ読書に言及しなければ、多くの人は彼の深さを測りかねただろう。しかし、専門家を演じるには、学ぶ余地を残すわけにはいかないのである。 習近平がよく言葉の発音を間違えるのも、混乱に拍車をかけている。 指揮をとる」「金科玉条」などの言葉をよく間違えますが、これは無害なミスで、「精湛(jīngzhàn)」を「精甚(jīngshèn)」、「支持」を「賞賛」と発音する時は 絶妙」を「exquisite」、「支持」を「admire」と発音したり、「スタリッシュ」と発音しているところをカメラに撮られたりしているところを見ると、あまり文才がなく、自分が何を発音しているのか分かっていないことが分かる。

歴史上、指導者は読書家でなければならないとは決まっていないが、独裁者はしばしば神を作りたがる。特に中国の指導者は文学者ばかりなので、習近平はなおさら対抗心を燃やしているのだろう。 例えば、毛沢東は経典も歴史もすべて読んだが、自分がどれだけ読んだかを自慢することはなかった。江沢民は、フランス大統領を迎えて、バルザックなどの著名人とともにフランスの豊かな文化遺産を賞賛したように、西洋文化にも手を染めたのである。

この文体は、習近平の痛いところを突いてくるので、うらやましい限りである。 毛沢東の秘書である李瑞が「彼(習近平)がこれほど教養がないとは思わなかった」と言ったことがあるように、彼があまり本を読まないことは多くの人が知っていることだ。 しかし、そのような判断は、習近平に恥をかかせ、紳士的な指導者たちと肩を並べることができなくなる。そこで、習近平は熱心に博士号を取得したことを履歴書に記して公開したが、人によって事情や時代背景が違うのだから、それを強調すると、劣等感と近視眼的な印象を与えることになる。 毛沢東は共和国末期に生まれ、文化的に豊かな環境にあった。鄧小平は幼少期にヨーロッパに留学し、資本主義の宿題をこなし、江沢民は正規の大学教育を受けている。

しかし、習近平はその背景を無視して、性急に文学者を装っている。 これは、主人の欠点を直そうとするあまり、現実離れしたイメージを作り上げてしまったチーム全体の無謀さを反映している。 「詩人・学者」としての習近平を演出するつもりが、思いがけず「文学的な外見だけで内面が伴わない」習近平を暴露し、世界の笑いものにしたのだ。

問題の根源は、習近平自身の欠点があまりにも多いため、個人のカリスマ性に執着し、そのために習近平チームはあらゆる面で優位に立ちたいと考え、あらゆるピースを手に入れようとするようになったことである。 例えば、読書だけでなく、習近平をカメラの前に立たせて、スポーツマンとしてのイメージを作り上げ、国民皆保険を呼びかけた。オバマに1日1キロ泳ぐように言ったのも、ハンドラーのアイデアだろう。かつて毛沢東が揚子江を泳いだと称えられたように、水泳は体力と意欲を示す傾向があるのだから。

しかし、習近平チームは、識字率の低さを考慮せずに読書家として描いたり、鍋奉行を連想させずに体育会系として描いたりと、前のめりであった。 –例えば、プーチンがタフになりたければ、バイクに乗って猟銃を持ち歩けばいいし、ボー・シライがスポーツを標榜するなら、重慶にハイキングコースを作るくらいはするだろうし、胡錦涛が海外を訪問するなら、日本代表の福原愛と卓球で勝負すればいいのである。

それに対して、習近平の戦略家は現実を無視することに腐心し、プロパガンダは準備不足で、抵抗があるかどうかも考えていない。 習近平が即位した後、政府は慣例として習近平の胸像を制作した。 しかし、その肖像画は習近平自身とあまりに違っていて、写真の装飾によって、習近平は同世代の指導者の中で最も現実から遊離した存在になってしまった。

このペルソナ戦略を見ると、実はXiのチームには留学経験者がいて、国際的な視点でハイライトを作ることを好んでいることがわかる。 外国の若者とのインタビューで、習近平は「才能がある」と評され、若い女性の一人は習近平のことを また、男性にとって非常に魅力的な存在とされている。

このビデオは習近平の訪米前に公開されたもので、リーディングリストと同様の効果がある。 これらの取材に対して、北朝鮮のプロパガンダの匂いがするとして、そのお世辞に強い疑問の声が上がっている。 一方、習近平の「全人代」を宣伝するために、メディアは「The Belt and Road is how」という童謡を作り、外国の子供たちを起用して歌わせた。 しかし、この曲はネット上で酷評され、各国のネットユーザーから非難の声が上がった。

“これで子どもたちがインフラに興味を持つのか?”

あるいは

“明らかに、世代は児童労働からずっと始まっている”

上記のようなプロパガンダはすべて外来のインクの要素を示しているが、このインクは明らかに封建的な含みをもってフィルターにかけられる。 習近平チームは国際世論に訴えようとしたが、国際文化の鼓動を感じ取ることができなかった。プロパガンダは非常に下品で、政治的道具として子供を傷つけると見なされ、これを風刺した歌が作られた。”This is China Xi“、再び童謡の形で、習近平を暴露している。 国内におけるガバナンスの暗部。

皇帝とカリスマ的指導者

習近平のプロパガンダは国際的にだけでなく、国内的にも失敗している。これは、習近平が政治的イメージを過度に必要としていることに起因している。 複雑な政治環境の中で中国の指導者に選ばれたのだから、安心できるわけがない。

このような資質があるために、政権を取ったときに補うことを期待するすべての層の人々に受け入れられることは難しい。彼は、国家指導者の期待は地方の役人のそれとは異なることを理解しており、平凡なままでいることはできない。少なくとも、中国の権力の座につく資格を証明するために、前任者と比べて有利な記録を残す必要がある。

習近平は就任後2年で敵対勢力をほぼ撃破し、かつてないほど権力を集中させたが、深い不安と自己重要感の欠如に陥っていた。特に就任3年目に戦後70周年記念の軍事パレードを行った際、習近平にとって初めての軍事パレードで、慣例上、指導者の権威を示す重要な場であった。 しかし、習近平は終始、権力者の落ち着きを見せるどころか、硬直し、意気消沈し、不安に包まれているような表情をしていた。

これは、根深い自信のなさ、個人の権威がまだ確立されていない状態の表れである。過去の指導者にはほとんど見られなかったことであり、習近平は富と力を持ちながら、まだ60代前半である。

習近平は何でも持っているように見えるので、何が欠けているのかを言うのは難しい。しかし、この欠落は致命的である。なぜなら、それはリーダーの才能であり資質であり、権力者にとって軍事力よりも重要な、リーダーのカリスマ性という才能なのだから。

ドイツの社会学者マックス・ウェーバーは、リーダーシップのカリスマを「人間とは違う、超自然的、超人的、あるいは少なくとも並外れた能力や特性を持っていると見なされる人格のある質」と定義した。 凡人には手に入らないものであり、神の源を持つものと見なされ、それ故にそれを持つ者はリーダーとして認識される……。 一方、カリスマ的権威とは:リーダーの “並外れた個人的資質、魔法のような洞察力や業績、フォロワーの忠誠や服従を引きつけること “に基づく力。

オーストラリアの心理学者レン・オークスは、”カリスマ的リーダーは、エネルギッシュで、内面の明晰さと相まって、庶民の不安や罪悪感にとらわれることがない “と言って、これに一層の明快さを加えています。

歴史的に見れば、このようなリーダーは通常、古い権威に対する挑戦者であり、伝統的な権力の転化と衝突することになる。しかし、この挑戦者の意志こそが、彼自身の権威を確立することを可能にする内なる確信を作り出すことができるのである。 そして、この超越的な品質が、一般大衆に神のお墨付きとして認識され、人々に従う意志を与えるのです。

このように、指導者のカリスマ性は、唯物論者や民主主義世界をも魅了する神の権威の感覚をもたらす。指導者にとってこの特徴は、彼の「自我同一性」、つまり独立した人格のアンカーポイントを生み出し、それは個人の自己刻印であり、大衆の中での彼の独自性と希少性をマークするものである。

歴史上の偉人は必然的にカリスマ的リーダーであり、政治的先駆者はしばしばカリスマ的リーダーである。政治家はしばしばこのカリスマを熱望するが、それは法律を超えた正統性と魅力を与えるからである。しかしこの才能は、たとえ後継者が皇帝であっても世襲できるものではないのである。 しかし、カリスマ的リーダーとは、学習者であり、友人であり、指導者であり、学識があり、深い考えを伝えることができる。

–カリスマ的なリーダーとしての資質は皆無に等しく、習近平には越えられない溝である。 あるジャーナリストが梁家河の少年時代の隣人にインタビューしたところ、習近平は「コミュニケーションを好まず、笑うことを好まない男」と評した。 香港のあるジャーナリストが、習近平が地方官だった頃に接触した人物にインタビューしたところ、習近平について「彼はつまらない、誰も覚えていないだろう」と言ったそうです。

習近平チームは、習近平が即位した後、これをすべて改善しようと、習近平に重ねるべきカリスマ性をすべてかき集め、プロパガンダによって世界に押し付けようとしたのである。 そして、カリスマ的指導者の思想的資質に合わせて、習近平の思想体系を作ることも切実に求められていた。

しかし、中国の政治路線は毛沢東思想と鄧小平理論でほぼカバーされ、江沢民の三代言以降、価値観は概念的なパッチワークになり、中国の指導者の思想的魅力が薄れつつあることは確かである。 しかし、江沢民や胡錦濤のような過渡的な指導者になることを嫌う習近平は、思想的な見識を示すことを強く望むようになった。

習近平のスタッフは、「中華民族の偉大なる復興」という野心的なコンセプトを打ち出し、習近平を民族の救世主となる比類なき英雄として描くためのスローガンを懸命に考えたのである。 習近平の勝利への強い意欲を示す一方で、歴代指導者を二の次にする傲慢さがある。 なぜなら、これまで中国が冬眠状態、衰退状態であったことを示唆しているからで、流れを変えるには偉大な人物が必要なのだ。

しかし、このスローガンは習近平に自信を与えるものではなく、習近平はいまだに前任者に教えを請い、他の指導者の痕跡がしばしば現れるほどである。 内政面では沸騰し黒焦げになった舟西来のやり方を、権力確立では毛沢東の個人崇拝のやり方を、外交では江沢民の文化人気質を見習ったが、それらを内面化していないため、場違いな印象を与えている。

習近平は、指導者の資質とは魂の深さであり、政治家の心に刻まれた歴史的プロセスの刻印であり、経験、教育、後天的洗練によって可能となる自己の存在感の覚醒であり、宗教家、独裁者、民主化の闘士であれ、自分の意志を最後まで遂行するためにはこの自己信念の確信を深めなければならないことを理解していないのだ。 根がしっかりしていてこそ、葉が繁り、知識が内から湧いてきてこそ、活力が生まれるからです。 だからこそ、習近平はリストアップした本を読んだとたんに、内なる真実がまったく滲み出てこないので、偽物だと見破られたのである。

習近平は政権獲得時に長期政権に備え任期を廃止したが、実は任期制が問題なのではなく、国民を納得させるだけの資質がないことが問題なのである。 彼は多くの概念を作り出したが、固執する核を見つけることができなかった。彼はしばしば自己満足的な言葉を口にしたが、強い虚偽の感覚を持った。 あらゆるリーダーの中で最も空洞化が進んでいる人物の一人です。 2016年のG20サミットでは、習近平が世界経済やグローバルガバナンスに方向性を与えるというレトリックは無意味だった。 世間に伝える印象は自分とは全く違うのに、自分にカリスマ性を与えるためにこれらの手段を信じ、自ら編み出したファンタジーに否応なしに引き込まれていく。

無重量化への道

習近平の10年間の政権運営を見ると、個性が強く、政策もより過激であったことがわかる。 でも、性格的には受け身な人でしたね。 最初から最後まで、彼が率直に自己表現することはほとんどなく、むしろ押されながら、それに従うように見える。 こうしたことが、彼の自信のなさを積み重ね、ますます抑制された姿に見せているのだ。 — 2021年7月の世界政党サミットで、習近平は慣例通り原稿を読んだが、終わり近くで前の原稿を繰り返し、傍聴席から誰かがフォローの原稿を渡すと、習は “私はここで終わりですか?”と濁しながら尋ねた。 — それは、彼の精神状態が不安定で、集中力がないことの表れでもある。

また、ロシアのサンクトペテルブルク経済フォーラムでは、習氏にインタビューした女性が、米中貿易戦争について「トランプは抜け目のない交渉人だ」「中国はどう対応するつもりなのか」と質問していた。 しばらく考え込んだ後、手に持っていた冊子をパラパラとめくって、「これは私が用意したこの冊子の中にあるかな」と言い返した(冊子は、スタッフが彼のために用意したスピーチと思われる)。

台本から離れ、あらかじめ決められた範囲以外の質問には気安く答えられない、そんな気まずい現場だった。 この光景を前にして、国内のマスコミは「習主席はわざとユーモアを見せたのだ」と言うしかなかったが、実際には誰が見ても困難な状況であり、習主席の対応は鄧小平が批判した本末転倒を思わせ、非常に独断的な印象を与えてしまったのだ。 鄧小平や江沢民のような、外交で偉そうなことを言っている指導者は、このときの習近平とは対照的である。 その時、ステージに同行していた王毅(ワン・イー)も楊潔篪(ヤン・ジエチ)も、不安と喪失感で困惑した表情をしていた。

これ以上悔しい思いをしないためにも、習近平はできるだけ自分を表に出さず、仕事も生活もわざと控えめにしていた。 そのため、当然ながら失策は少なくなったが、その反面、彼の政治的イメージはますます淡白になってしまった。 人々は習近平の統治が非建設的であると見ており、そのネガティブな印象は必然的に政権そのものにも及ぶ。 これは習近平の政権基盤が弱まることを意味し、習近平がより多くの疑問にさらされることになるため、習近平は神経質になっている。

これが習近平の権力への執着に拍車をかけ、自分の権威を確保しようと、部下に「習近平時代の中国の特色ある社会主義思想」を書かせ、第19回全国代表大会で党規約に、翌年の第13回全国人民代表大会で憲法に取り入れ、同時に全国の学校の教科書に取り入れ、公務員が常時学習するモバイルアプリに発展させたのである。

これらの取り組みは、習近平の声を包括的に伝え、強制力のある支配の正当性を示すために行われたものである。 同時に、情勢を安定させるために、宣伝の風潮を作り出し、メディアや口先だけで自分を白眼視させる。数年前、ネットの論客を悪用した坊西来が批判されたが、習近平のこの熱意は予想外で、世論誘導システムを規範化した。学校、機関、企業、コミュニティは、指導者の偉大なイメージを支えるために世論安定剤であふれており、政府は指導者を称賛することをその意図にしている。 指導者の賛美を政治的なプラットフォームにし、すべての人に政治的な意識を求めていくつもりである。

しかし、このような世論の悪用は、習近平の本質的な欠如の反映であり、弱い支配者としての窮状を露呈している。彼は、他の指導者、特に江沢民や沸西来のような、かつて彼がその気安さと弁舌で羨んだ、優れた能力を持ち、水を得た魚のように国際社会に進出できた最近の世代の人々と比較して自分のイメージが劣ることを懸念し、宣伝を拡大した;江沢民はウォール街でベルを打ち、演説会で演説した;彼は、「私は、このような指導者になりたい。 マナーもよく、話もうまく、国際社会で漁夫の利を得ることができる」と羨ましがられたこともあった。 その中には必ずもっと多くの材料があるはずだが、習近平はメディアやネットのコメンテーターに頼って、偉大な業績であるかのような錯覚を起こさざるを得ないのである。

習近平政権の10年間は、ネット水軍にとって最も激動の時代であった。 彼の政権には欠点が多いので、それを補うためにこのような部分的な救済措置に頼らざるを得なかったのである。 しかし、世論扇動は結局のところムダであり、それに頼って永遠に自分の立場を維持できる政治家はいない。 同時に、世論を偽ることはあまりにも卑猥で卑怯な行為であり、インターネットのコメンテーターは、世論を誘導するための限界的な効果が薄れていることで国際的にも国内的にも悪名高い存在である。 また、民衆の信用に迎合する有象無象の集団は、自制する術を知らないことが多い。例えば、「習主席の名言」のような新世代の赤本を編纂しようとしたり、習近平の顔写真と毛沢東の顔写真を並べて、華国鋒が当時扱われていたようにする者もいる。 また、「大国の台頭」というシナリオのもと、習近平が中国を強国へと導いたと自慢する「偉大なる我が国」キャンペーンを口々に展開した。 ある大学の研究者も「中国のパワーは全面的に米国を上回る」と題する論文を発表し、データを織り交ぜてその論拠を示した。

こうした記事は国内でも批判を呼び、新たな華やかさの波が押し寄せると考えられ、公式メディアでも歯止めをかける必要が出てきた。 習近平の周辺には、この流れが誇大広告の危険をはらんでいること、習近平を極端に追い込もうとする隠然たる努力があること、この時期に「低級赤、高級黒」という言葉が生まれ、あらゆる誇大広告を非難し、一見助けているようで実は舞台を壊していることに気づいている者がいることは明らかである。 習近平の政権時代、対外宣伝全体がこの手探り状態、左右の対立の中にあった。 そして、習近平自身もそれを警戒して、ある講演で「悪い文体が広まることは、発言者や書き手自身のイメージを損なうだけでなく、党の威信を低下させる……」と発言しているのです。

習近平チームは過剰なプロパガンダの発信源であり、それを冷やそうというのだから、これは逆説的だ。 習近平は指導者として大げさなプロパガンダの危険性を理解しないわけではないが、彼の個人崇拝への熱意がこのような投機市場を作り出した。 — 習近平の偉大さをカメラに訴え、生涯権力の座に君臨することを願う。 こうした気取ったお世辞は、彼を不安にさせる一方で、安堵感も与える。 習近平は悪筆を駆逐したい一方で、忠誠心を呼び覚ますために必要なのだ。

だから、メディアはリーダーに金塊をかぶせようとして、象徴的な存在にしようとしているのです。 しかし、習近平は個人の資質が弱く、金箔を貼るとすぐに剥がれてしまう。 賞賛の声は、いつも雁のように彼の上を通り過ぎ、とどまることができなかった。 そして、これは他のどの指導者よりも習近平と格闘してきた中国メディアの苦境でもある。彼のイメージは穴だらけで、最も修辞的な人々でさえ圧倒されていると感じるほどである。 彼に光明が差すと、マスコミは宝物を手に入れたかのように狂喜乱舞する。

しかし、プロパガンダが振りまくきらびやかさや華やかさはやがて消え去り、明らかなシンプルさと老朽化が残ることを誰もが理解しているのです。 習近平政権は潮流に逆らって航海しているようなもので、不断の盛り上がりが必要であり、宣伝に手を抜けば、そのイメージは急速に失墜していく。 そんな中で、お互いが必死にしがみついているのだが、なかなか支えきれず、どんなに頑張っても、少しずつ崩れていくのが目に見えている。

大国の内政1:権威の再創造

習近平はプロパガンダを展開することで好意を抱かせようとしたが、自立の利点がないため、人々の支持を維持することが困難である。 そのため、習近平はパフォーマンスが悪く、指導者として不適格であると感じる一方で、習近平は重鎮であるため表面的にならざるを得ないという両義的な態度に陥っている。

当初、習近平は個人崇拝を大々的に行うつもりはなかった。 赤い思想を唱えたが、それは坊守雷が赤を唱えたのと同じ理由で、改革開放がもたらした民主化の余波に対処するためであり、共産党の総意であって個人の意見ではなかったのである。 むしろ、習近平は政権獲得当初、進歩的なイメージを演出し、自発的な民衆の支持を集めようとしたが、この試みは挫折し、政治的なショーを演出すればするほど、自分の弱点が露呈し、それが彼に対する批判と嘲笑を集めることがわかった。

このため、習近平は「改革開放で国民が甘やかされすぎて、指導者に対する尊敬の念を失っている」と反抗的なムードになった。 — 国際的なイメージ作りを放棄し、内政の強化に乗り出した。 言論を封じ、思想を封じ込めなければ、政権から疎外されるのは必然だ」と、自分の苦境を党全体のレベルにまで高めたのである。

この状況は、事実上、党内で通用する一線を越えてしまっている。上層部は、右傾化、民主化意識を抑制することには熱心だが、個人崇拝には向かわないのだ。 習近平はそれを利用して、個人的な権力集中を強化し、統治スタイルを急進させたのである。 彼は、成功例であるイランやカンボジアのように、すべての改革は逆転し、自由主義思想は抹殺される可能性があると考えている。- 両国とも民主的改革を経験し、短期間の社会的解放を経験したが、独裁者の努力によって、結局は独裁に引きずり戻されたのだ。

このような民主主義から独裁への逆転現象が習近平を刺激した。彼は、中国人の心の中にある寛容な状況を一度変え、再び尊敬の念を抱くようにしたいと考えたのだ。 文化大革命など一連の失敗を一種の探検と捉え直して、党史を改訂したのだ。 彼は、人々に悪い認識を排除することを望み、共産党を欠陥のない政党と定義した。 彼は党史研究大会で、”一部の誤った傾向は警戒して見るべきで、党史の過ちやねじれを誇張し、いたずらに党史を中傷、歪曲し、党指導部を攻撃するものがある “と強調した。

そして、独裁者の権威を再確認するために、習近平の政策はますます過酷に見え、プロパガンダの中で意図的であろうとなかろうと脅迫的な雰囲気を醸し出す。時折、社会のストレステストとして厳しい法令を一つ二つ出し、強い民衆反応があれば法案を少し調整し、抵抗がなければ力を強めたいと思うこともあるだろう。

中南海のある政令では、主流意識に反するメディアがインターネットから消えていくのを目の当たりにした。 インターネット情報局は「若者の思想に影響を与える」APPを禁止し、「インターネット情報サービスのアルゴリズム推薦管理に関する規定」を発表し、インターネットコンテンツのアルゴリズム推薦を主流の価値観に合わせるように要求したのだ。 また、文化観光部は娯楽施設の管理を強化し、KTVで歌われる歌には国家統一を危うくする9項目を含んではならないと定めている。

習近平は、このように温かく繊細な方法で、社会統制の層を厚くし、人民の権利を強化しているのです。 タリバンがアフガニスタンを支配し、イランが代議制から世俗制に後退し、ミャンマーの軍事政権がアウンサンスーチーの民主改革を覆したように、政治的抑圧さえあれば、人々のまっすぐに伸びた背骨は自然に曲がるというのが彼の考えである。

同時に、習近平は指導者の意志を絶対化するために、中国を完全に浄化するつもりで、国家は政権に影響を与える外国の勢力を断固として排除しなければならないと考えている。 宗教は精神的な救済を説き、人々を世俗的な権力に服従させないが、それ自体が一党独裁体制の権威に対抗するものである。

2014年以降、政府は「3つの改革と1つの解体」という名目で、浙江省、福建省から始まり、徐々に北や内陸部へとキリスト教の教会や十字架の解体を進めてきた。 浙江省だけでも2年間で数千本、安徽省では半年で900本の十字架が撤去された。 そして、宗教活動の再開を防ぐため、政府はほとんどの宗教的集会を違法と定義し、教会内に監視装置を設置した。

宗教的シンボルの撤去が国策に昇格し、習近平はキリスト教に加え、新たに仏教の駆逐と脱イスラム化を打ち出した。-山西省新塘山の世界最大の座仏像、河北省黄安寺の60mの観音像、遼寧省壮河の千仏洞の仏像などが習の在任中に様々な理由で爆破・撤去されている。 雲南省維山県では、政府が組織的にイスラム教の弾圧を開始し、違法な礼拝所であるとして警察を派遣してモスクの手入れを行った。実はこれらのモスクはすでに警告を受けており、以前から寺院の国旗を立てていたが、これは宗教にとって命を救うお守りとなることはなかった。

さらに、政府は同時に文化領域から宗教の痕跡を排除してきた。一部の小学校では「宗教、反動、外国人」に関する本を検閲して撤去し始め、この政策はすぐに中学校、大学、図書館にまで広がった。管理者は名前を挙げて淘汰し、ニーチェ『反キリスト』やシェルバツキー『仏教論理学』といった非宗教的な作品が棚から外されたほどであった。

習近平が進める脱宗教化ではキリスト教が特に被害を受けたが、教会を取り締まることがかえって信者を刺激していることが分かった。取り壊された教会の前では、信者が廃墟に集まって十字架に祈る光景が繰り返されている。 このこだわりは、信仰のない中国社会では理解できず、習近平は宗教が政権にとって脅威であるという考えを強め、これに対し、”宗教を利用した海外からの侵入には断固として抵抗する””中国の宗教は中国化されなければならない “と述べたのです。

習近平は、60年来の宗教統一戦略を転換し、神権政治の影響力をこの地から取り除くことを決意している。同時に、文化的に統一された中国を建設したいと考えており、宗教との戦いに加えて、少数民族、特に土着宗教を持つ民族の同化にも着手している。 習近平は、これらの民族の独立した信仰が内発的な抵抗を育み、中央政府の権威を分断していると考えた。 これまでの軟弱路線を覆し、少数民族の学校に中国語での授業を命じ、彼らの文化的特権をあらゆる方面で非合法化した。 特にチベット、内モンゴル、新疆という政治的に微妙な地域に対しての政策であった。

大国の内政2:君主制と法の支配

重慶を賛美し、ブラックと戦ったボー・シライを、人々は法治国家を無視した行為と批判した。 しかし、今の時代、人々は確実に彼に寛容であろう。 習近平の手法に長らく矮小化されてきたからだ。

実際、礼拝の自由も少数民族の文化的権利も、憲法に保護が盛り込まれている。 しかし、これらの明確な規定は、ほとんど気まぐれに法の支配を踏みにじることができる習近平を拘束しない。

宗教施設の取り壊しが恣意的な理由で正当化できるように、信者の弾圧もフーリガンが行うことができる。習近平は、法の支配を指導者の指示、行政命令、軍や警察の弾圧に置き換えることを目指しているのである。 習近平在任中の深圳での労働者権利デモや差別に対する女性デモが政府によって弾圧・逮捕されたように、あらゆる団体に対して強硬な姿勢で臨んでいるのだ。

しかし、習近平は、取り壊しに対する宗教的抵抗であれ、市民の抗議であれ、その背後には必ず中国の人権派弁護士という集団がいることを知った。この弁護士たちは、法的ルートを通じて大衆の権利を守るために戦い、政府の違法行為を告発した。 — これは、法制度が人々に発言力を与えすぎ、特に弁護士が政府と対立する資本を与えているという習近平の権威に再び触れることになる。 当時、弁護士を逮捕したボー・シライの質問にはまだ目隠しが必要だったというのに、習近平は目隠しをしているように見える。 –権利擁護は法制度と社会正義の最後の関門ですから、自分の手でそれを解体しなければならないのです。

2015年7月、政府は有名な「人権弁護士709人逮捕事件」を起こし、数百人の弁護士、人権活動家、市民ジャーナリストが23省にわたって組織的に召集・逮捕されたのです。 弁護士の中には「国家権力の転覆を扇動した」として有罪判決を受けた者もおり、失踪した者もいる。 政府はメディアで、社会的なイベントの背後には弁護士がおり、陳情者や犯罪組織と結託して敏感なイベントを誇大宣伝し、社会秩序を乱していると主張している。

そして、最も重要なことは、人権派弁護士の多くがキリスト教信者であることである。これは、宗教が目に見えない形で普遍的価値を伝え、その普遍的価値が国民の良心と正義を喚起するとき、独裁政治への抵抗のきっかけとなることを示した。

習近平はこれにあきれ、反体制派の逮捕を国策とした。 そして、中国における人権抵抗は、実は西洋の自由という考え方、つまり資本主義が中国共産党への脅威として意図的に作り出した考え方そのものから来ているという根本的な考えを持っています。 弁護士逮捕のずっと前に欧米で火がついたきっかけは、2013年、ブルームバーグが年に数回、習近平を含む中国高官の海外資産を詳細なデータと情報源を挙げて報じたことだった。

このニュースは政府を極度に緊張させ、直ちにファイアウォールでブロックした。彼らは常に各国の政治的裏工作、特に中国の官僚的富と少数民族の問題を暴露していたので、この表現の自由の文化は習近平を激怒させた。そして、習近平が弁護士や権利保護者を逮捕した後に国際的に救済し連帯を示したのもこの報道機関であった。

以前、ブルームバーグとニューヨークタイムズの記者がこの問題に関する記事を掲載した後、政府はビザを拒否し、5つの中国メディアを自由なメディアではなく「外国公館」と認定したのは米国で、習近平は直ちに彼らのプレスカードを取り消し、米国3大紙のジャーナリストを追放することで対応した。

外国メディアが排除されると、政府の人権弾圧は注目されなくなり、習近平は平然と行動できるようになった。ジャーナリスト保護委員会によると、中国は2020年に世界で最も多くのジャーナリストを投獄しており、この年だけで117人が逮捕され、特に流行期に武漢に旅行したジャーナリストは逮捕されている。

習近平は人権との戦いにおいて、江、胡の2人の指導者を合わせたよりも多くの人権活動家を逮捕するという記録を作った。 彼は、いつか弁護士が逮捕され、いつかジャーナリストが沈黙し、いつか少数民族が屈服する日が来ると信じている。 中国は人権が低い状態を受け入れることができる。そうすれば、やがて大衆の反抗心はなくなる。全国民が指導者の賛美を歌えば、その賛美は本物の支持になる。北朝鮮の人々のように、本物と偽物の区別がつかないのだ。

※機械翻訳であるため、正確性にかなり欠けます。

行政院で国安法・両岸条例修正草案通過 中国経済スパイ 最高罰12年、罰金1億

刑罰度合いは営業秘密法の最高10年よりも更に重い

国家の安全と経済発展を守るために、行政院(内閣府)は中国など敵対勢力の経済スパイに厳罰を加えるよう法改正に手を付けた。行政院院会は今日(2/17)、何人たりとも外国、中国、香港、マカオ、域外の敵対勢力のために、国家の核心となる技術などの営業秘密(企業機密)を侵害してはならないと定める「国家安全法修正草案」を通過させる。違反者には最高で12年の懲役、併せて1億元以下(約4億円)の罰金を科し、これは現行の「営業秘密法」第13条の2「域外加重処罰」の懲役10年よりも重いものとなる。

核心的技術を持つ者の訪中未報告 1000万元の罰金

行政院院会では両岸条例修正草案も通過させ、政府の委託または補助を受けるには一定の水準を満たすことを盛り込み、国家核心の技術を持つ個人、団体、法人、機関職員や委託、補助が終了または離職して3年未満の人が中国大陸を訪れる際は事前に申告し、審査を受け許可を得なければならず、違反者には最高1000万元(約4000万円)の罰金を科すことも盛り込んだ。

現行の国内営業秘密事件は、起訴率が低すぎると批判されており、多くの中国経済スパイが国家核心的技術に関する営業秘密を漏洩させている。このため、政府はアメリカの「経済スパイ法」の概念を取り入れ、国安法と両岸人民関係条例内に「重罰」条項を盛り込んだ形だ。

行政院職員の話では、両修正法案は中国などの域外勢力が国家核心的な技術に関する営業秘密(企業機密)に対する侵害の防止を強化する事が狙いで、並びに関連業務を担う人物の訪中を審査することを強化する。修正法案のポイントには、

1、国家核心的技術に関する経済スパイ罪
2、域外の組織発展、そして域外勢力による国家核心技術に関する営業秘密の侵害事件に関して、第一審では高等裁判所または知的財産及び商業裁判所が管轄すること
3、国安法に違反した犯罪は専門の裁判または指定の専門手続きを設ける
4、政府から一定程度の委託、補助または出資を得た国家核心的技術に従事する技術者が中国へ訪問する際には審査が必要となる
5、中国企業が意図して台湾に迂回してやってきて活動を行なった場合の罰則を引き上げる
6、違法な中国企業及び中国資本の訪台人物への罰則

が含まれる。

2022年2月24日 編集・翻訳(八度妖)

今やマスコミのWeb記事すら見つからない日本での誘拐未遂事件

2022年2月22日 妙佛DeepMaxさんが取り上げていた中国における人身売買・人さらいについて解説をされており、更には日本での誘拐未遂事件についても取り上げていた。実際の所、本当にWeb検索をかけてもヒットしないのか、”自称”ある程度の能力を持つITエンジニアである私が検索して考察してみた。

映像が見られない原因として削除されたか、メンバーのみへの公開となったためと考えられます。

前提条件:検索結果に影響が及ぼさないように、シークレットモードで行なった

1.単純に「中国国籍 誘拐未遂」でGoogle検索

→ヒット件数約519,000件。確かに妙佛さんの仰る通り、マスコミと言われる報道機関・会社のサイトが上位検索に上らないだけでなく、次のページなど、下位にすら検索結果として表示されない。上位に表示されるのは、いわゆる「まとめサイト」のようなニュースに対して電子掲示板のコメントを抜き出して張り付けるタイプのサイトばかりである。
因みにGoolge検索ではなく、プライバシーと検索結果の両立を実現したと言われる「Duckduckgo」でもほぼ同じように「まとめサイト」や「個人ブログ」のみが上位にヒットする形であった。

2.上述1でヒットした「まとめサイト」内にあるニュース記事URLをクリック

→殆どの参照先URLがYahooニュースである為、クリックしても

指定されたURLは存在しませんでした。
URLが正しく入力されていないか、このページが削除された可能性があります。

と表示されるため、どこのメディアが発信したかが不明である。

3.上述1でヒットした「まとめサイト」にある見出しをコピーして、Google検索

→検索キーワードは「中国国籍の女を逮捕 小学生を誘拐しようとしたか 」「静岡県県西部で、小学生女子を連れ去ろうとして」
結果はやはり「まとめサイト」や「個人ブログ」が上位に表示されるが、保守系外国人言論人「フィフィ」さんのTwitterでの投稿が上位に来ていたので、閲覧するも、貼られているリンクは上述2で述べたYahooニュースであるため、詳細が分からない

4.Twitterで見出しを検索

→今度はGoogle検索ではなく、Twitterに絞って「中国国籍の女を逮捕 小学生を誘拐しようとしたか 」で検索をしてみる。Yahooニュースを引用しているツイート以外にも、静岡放送(SBS)のWebサイト(動画)を引用しているアカウントがいくつかあった。投稿内リンクをクリックしSBSサイトに飛ぶものの当該ニュース動画は表示されず、最新のニュース動画が表示されてしまう。

しかし、動画IDが「8gXMmBeu5QM」であることが分かった。

5.YouTubeで動画IDを入力しアクセス

→YouTube動画は https://www.youtube.com/watch?v=動画ID
の形式で再生できるため、「動画ID」部分に先ほどの「8gXMmBeu5QM」を入力してみると、

動画を再生できません
この動画は非公開です

と表示され、動画を閲覧する事が出来ないが、動画が存在することは確認できた。つまりはそのような誘拐未遂があったことは、やはり実際に起きた事件である。

動画が非公開の場合(動画は存在している)

ちなみに動画が削除されている場合は「この動画は再生できません」と表示されるのみである。

動画が削除された場合は

6.Webページアーカイブまたは他の動画サイトに当該動画が存在しているかを確認

→アーカイブとニコニコ動画に存在していた

https://archive.vn/cAnws (ニュース記事)

https://www.nicovideo.jp/watch/sm37211304 (動画)

尚、SBSサイトには当該記事を検索するもヒットせず、なかったことになっている。


7.容疑者の名前で検索

→1~6の方法で検索してみた所、記事がいくつか存在するようで、Web版では容疑者の名前を伏せられているが、ニュース動画では名前が公表されていたため、その名前で検索してみても、1~6で行なった検索結果と殆ど変わらないものであったのと、中国メディアでも報道されていたことが分かった。ちなみに自分なりに色々と探したが、SBSのみが報じて、それをYahooニュースが報じたという形でしか記録が残っておらず、あとは「まとめサイト」「個人のブログ」「SNSでの投稿」がヒットするだけであった。


Web管理者考察

この事象だけをみて「親中メディアによる中国擁護のための隠蔽工作の一つだ!」と主張するのは、短絡過ぎる。もしかしたら、当該容疑者の疑いが晴れて、実は誘拐未遂ではなかった、とか、警察の不手際で誤認逮捕してしまった、というパターンも考えられるからだ。もしそうだとしたら、記事や動画をそのまま掲載・公開し続ける事は、その人物に対する一種の名誉棄損にも当たる可能性があるので、削除しても当然かと思う。しかし、個人的には名前の無いWebニュース版であれば、記事内文字に取り消し線を入れて「この事件は不起訴処分となりました」など解説があれば、あらぬ疑いをかけられずに済むと思うし、その方がメディアも視聴者(読者)も納得いく形だと思う。

ここでこのブログを終わると八度妖は中国擁護している!と言われかねないので、補足的情報を出させていただく。

2022年2月時点で、中国では冬季五輪よりも誘拐についての話題の方が注目されているとも言われるくらい多くの中国人が他人事とは思っていない事件が発生して、今も話題になっている。それだけ身近に誘拐が発生している事の表れであり、日本にいる在日中国人も「自分の欲望を満たすことができるのであれば、他人の子供を誘拐しても構わない」という考えを持っていてもおかしくないし、実行する可能性だってある、心配だ、と考えるのは子を持つ親としては当然の事だと思うし、子供がいない普通の人間であっても、その心配する気持ちは同じだと思う。

中国の場合は、中国共産党が事件を隠蔽するという体質もあるのと、そういう闇のビジネスが成り立ってしまっているという点もあり、まったく改善する兆しすら見えていないのが現状であるし、需要、つまりは他人を買うというマインドが存在する限り、仮に中国国内で厳罰化されて誘拐が減ったとしても、今度は誘拐する場所を別の場所に変えるだけの話であるので、2020年7月の誘拐未遂事件は日本人にとっても他人事ではないということを覚えておかなければならない。また日本国内でこのような犯罪を罰する法律は「未成年者略取誘拐罪」にあたり、3ヶ月以上7年以下の懲役という私にとってみれば非常に軽い罰であり、もっと厳罰化してほしいと思う。
※厳罰化したからこのような犯罪が無くなるとは思わないが、件数は減ると思っている。

ちなみに中共メディアによるニュース隠し、という点は可能性が少ないと思う。なぜなら中国SNSにおいてもこの誘拐未遂事件についてのWebページや動画が未だに残っているからだ。もし中国共産党政権が隠したいと思うのであれば、そういった記事やWebページを削除するであろうし、消すメリットより消さずに残しておく方がメリットが大きいと考えるため、未だに存在しているのであろう。例えば、いつまで経っても誘拐事件が改善されないことが人民の不満の矛先となった場合、「日本でもこういう事件が発生している。日本政府も頭を抱えているが、我々も頭を抱えているんだ」と主張する事もできるからだ。

https://new.qq.com/omn/20200715/20200715A08FS800.html
テンセント・ニュース(腾讯网)でも取り上げられている。アクセスするか否かは各自ご判断ください。

2022年2月22日 編集(八度妖)

ついに決着?「ずとてのぺうくろ」の考察

外国に行くと不思議な日本語を見かけることがある。身近な所では台湾のまちなかで見かける「マツサーヅ」やラーメン屋なのに「ウーメン」などが有名であり、これはその単語に似た平仮名やカタカナを使ってしまったことに由来していると思われる。

最近は、パソコンでデータを作成し、そのままのデータで出力して印刷することが多くなったためこのような誤字は少なくなってきた。これら看板が作られた1980年代、90年代、まだパソコンが普及しておらず、また2000年代に作られたとしても、当時パソコンを使わない高齢の経営者が発注した、とすれば、看板業者は手書きで外国の文字(つまりは日本語)が書かれた紙切れを発注者から渡されて、その文字をパソコン内から見つけて入力し、印刷するという工程を経るわけだが、看板業者は日本語に精通している訳ではない為、紙に書かれた見慣れぬ文字をパソコン内の文字を見つけ出し、データを作成する訳であるから、どうしてもこのような「変な日本語」が発生してしまうのは容易に想像できる。また予算の関係上、そして時間の関係上「ネイティブチェック」など行うはずもなく、このような誤りが出来るのだろう。

さて、本題に入るが、先ほど紹介した「マツサーヅ」などはまだ可愛いレベルの誤字で、日本人であれば、パッと見てすぐにその意味を理解することが可能である。しかし、香港には非常に難解な誤字があるのをご存知であろうか。まずはこの画像をご覧いただきたい。

いらつしゃいませ ずとてのぺうくろ

活字にすると意味が更に理解しがたくなるのだが、英語を見ると「Welcome To Man’s Paradise Enjoy Yourself」とあることから、これはどうやら「いらっしゃいませ、男の楽園」を意味していることが分かる。「ずとて」は「おとこ」という平仮名の誤りであることは字の形からして容易に想像がつくが、後ろの「ぺうくろ」は非常に難解である。「楽園」、つまりは「パラダイス」が変形して「ぺうくろ」になったとの説が有力なようだ。この画像のように「ダ」が欠落すれば、「パライス」になる。

しかも看板の古さを鑑みると、看板作成時に発注書に手書きで「いらっしゃいませ おとこのパラダイス」と書こうとした所、日本語のあまり得意でない または できない発注者が翻訳会社からもらった文言を書き写す際に、「ダ」を書くのを忘れて「おとこのパライス」という状態で看板業者にその発注書を渡したとしたら、こうなるのは必然であろうし、こういうミスは当時であれば起こりうることなので、「パラ(ダ)イス」説が有力だと言われるゆえんなのかもしれない。

また別の説として「パラしろ」という説もある。
これは「パラダイス+城」を組み合わせた「男のパラダイス」とも「男の城」とも読み取る事のできるダブルミーニングだったというものである。

大変面白い説であるが、私は「パライス」説を強く推す。なぜなら、手書きの日本語が書かれた紙切れを印刷業者が受け取ってパソコン内で文字起こしをする際に、参照するのが「五十音表」であろう。且つ、見ていくのは「あいうえお、アイウエオ」からであろうから、仮に「おとこのパライス」と間違って書かれた紙切れ、かつ図のようにかなりの達筆?で書かれた文字で書かれた紙切れを渡されれば、あいうえおかきく、と順番に見ていくであろうから、最初に「イ」に似た文字は「く」となり、「ス」に関しても平仮名→片仮名の順で探していくであろうから、カタカナの「ス」にたどり着く前に平仮名の「ろ」が同一文字と誤認識したと考えられる。

しかし、そうすると、「おとこ」の「お」や「こ」、「パ」は五十音順では正しい文字の方が先だぞ!というツッコミがあると思うが、これらはネイティブの日本人ですら書き手の癖によっては「て」「ペ」に見えなくもない場合があるので、触れないでおく。ちなみに誤植で有名なものとしては「インド人を右に」がある。
※「お」に関してはこれはまったくの謎である。発注者はよっぽどの”達筆”だったに違いない。苦しい言い訳ですまぬ

なお、類似の看板が多いのは、恐らくどこかの有名店が誤った表記で看板を作成してしまい、その店に倣って同じ文言を他のお店も使用したからだと思われる。また、日本人から誤りを指摘されたとしても「意味は通じる?」→日本人「うん、何となく通じるよ」という回答であれば、「変な意味でもないのだから、わざわざ手直ししなくてもいいや」という考え方で今に至るまで「変な日本語看板」として存在しているのだろう。

最後に「パラダイス」の「ダ」欠落説が濃厚だが、ここでもう一つ新説として

「宮殿」や「城」を意味するフランス語の「Palais」をそのままローマ字読みしたパターン「パライス」もあるのではないかという説

看板を見ると多くの夜のお店の名前が「〇〇城」というものだからだ。フランス語を使うことにより、Castleよりも更に豪華な雰囲気を醸し出すことができると予想したのだが、よくよく考えてみると、フランス語では最後の子音は読まないので「パレ」となるし、香港と言えば英語がメインの土地柄、わざわざフランス語を使うこともないので、この説である可能性は低い。

いずれにしても結局決着がつかなかったのは申し訳ないが、「パラダイス」の「ダ」欠落説が濃厚だということ、看板作成の「手書き文字をデジタル化する」という過程において日本語を全く理解していない人が介入する事により誤植が発生しているということ、ご理解いただければ幸いである。

2022年2月22日 編集(八度妖)

ポンペオ氏来週訪台 3/3蔡総統と会見し台湾支持を伝える予定

ある関係者からの確実な情報では、トランプ大統領時代に台湾支持を表明していたマイク・ポンペオ元国務長官の3月に台湾訪問が決まり、また3月3日には蔡英文総統と接見し、台湾支持を表明し国際情勢の発展についての考え方の意見交換する予定である。

ポンペオ氏台湾訪問団内には、米国国務省国務長官 中国政策首席顧問だった余茂春氏も含まれており、この華僑米国人はトランプ政権において中国政策を転換させた非常に重要な人物であるため、彼が同行すると言う事は訪台には、更に別の「光」があると考えられている。

ポンペオ氏と余茂春氏は退任後、現在保守系シンクタンクのハドソン研究所に在籍しており、ポンペオ氏は著名な同僚(原文distinguished fellow) 、余氏は上級研究員という肩書だ。今回台湾側から訪問を招待したのは、名目上は遠景基金会という団体である。

※distinguished fellowをどう訳すかが不明なため、直訳しました

ポンペオ氏の今回の来台は、多くの政府高官と面会するだけでなく、TSMCや中鋼(中国鋼鉄)等の経営責任者とも個別に会見するなどの手配も整っており、産業発展についての訪問の意味もある。しかしスケジュールについてはまだ公開されていない。

ポンペオ氏は公職を離れた後、アメリカ大統領選の準備に取り掛かっている。1963年に生まれた彼は、アメリカ政界の希望の星と言われており、特に2018年4月から2021年1月まで国務長官を務めた際に、台湾の国際的参与を強く支持し、中国の台湾に対する軍事的脅威に反対した人物である。更には退任直前には行政機関が台湾との接触を禁止することを取消し、米台関係においてこのような制限が不要だと確認する動きをした。またこれは官僚体質が自主的に設けた制限であり、制限を受けるべきではないとの表れである。これにより形式的にも実質的にも米台の往来は大幅に自由になり、米台関係において重要な功績である。

ポンペオ氏は昨年3月、台湾訪問の意向を示していたが、一年越しに叶った形だ。台湾の業界関係者は現在積極的に台湾の友人である彼を迎える準備しており、この外交が成功することを願っている。

ニュース元記事
https://news.ltn.com.tw/news/politics/breakingnews/3835941

2022年2月21日 編集・翻訳(八度妖)

Web管理者感想

面白い主張があった。なんと蔡英文総統が解放軍と青幫(過去に存在した中国闇組織)とズブズブな関係であり、そのことをポンペオさんに知られてはマズい、ということだそうだ。

まさか今回のポンペオ氏訪台は、ポンペオ氏が蔡英文総統に「お前、そろそろ中共とのズブズブな関係を終わらせろよ!」ということを伝えにでも行くのであろうか?アクロバティックな「蔡総統青幫一員」説がどのように展開されていくのか、楽しみである。(動画視聴は苦痛なので文字ベースで読みたい)